小学校の時の読書感想文の一つのパターン、特に環境問題や道徳について書く時は、「私たちは豊かな生活の中で、何かを忘れてしまったことがあるのではないでしょうか〜」みたいなものがあった。
2000年代の最初から終わりにかけて小学生だったが、沢山こんな文を見た。
年越し派遣村など、あからさまに非正規雇用が問題化する以前ならもっとこんな書き方はあったはずだ。
格差問題がどんな新聞にも登場する今はこんな能天気なこと小学生に書かせる大人なんて殆どいないだろう。
金を追う必要性がない。毎月12万円が振り込まれて、出来ることがないから本を買って読むだけである。
そして、小さい頃から金で苦労していないからなのか金の無力さすら感じる。
金を稼いでも容姿が綺麗になんかならないし、愛されても金が愛されるだけなのである。薬は買えても、持病はなんだかんだ治らないのだ。
父親が死んだ時が一番まずいのだが、自分がどうこうできるものでないのだ。
できる限り生きるように祈るしかない。
親がまだ金を稼ぐ自分は、どっかのブログサービスを見ても思うのだが、よくみんなこんなにも金を欲しがるなと感じてしまう。
アフィリエイトやらで小銭を必死に拾おうとするというは馬鹿らしい。
とにかく金が自分を救ってくれているのだろうが、これ以上救ってくれる気がしない。
今一番人間に求められているのはまともな容姿だろう。その次は金だ。
自分の通うゴミ大学の新設される予定の豪華なスクリプトで盛られたホームページを見ると、容姿の良い人間しか写していない。
大学自体が容姿がいいことと、学費を払ってくれることが人間の要件であることを教えてくださるから素晴らしい。
とにかく、AOや推薦やらの何も考えていない人間が殆どの年間200万円の学費の糞学部から抜け出さなければならない。
金が救ってくれるわけないだろう 金なんてしょせん紙切れよ