まず全世界で起きている、テロや軍事衝突で亡くなってしまった方たちに哀悼の意を捧げたい。
個人的には、軍人と民間人とで命の重さが違うとは思えないので、全ての人に捧げたい。
それで、増田にしか書けないことを書こうと思う。増田なのは、怖いからだ。
フランスのテロでご家族を亡くされた方が、それでも恨んだり怒ったりはしないと言っている記事を読んだ。
とても尊くて、たぶん自分には真似できない決意だと思う。それを公開することも尊敬する。
それでもなお、足りないと思った。
あなたたちが誰なのかは知らないし、知りたくもないが、あなたちの魂が死んでいることはわかる。
あなたたちが盲信的にその名の下に殺戮を行っている神が、(後略)
https://medium.com/@dominickchen/あなたたちは私の憎しみを得ることはできない-b2ac0cdcc69a#.v4x4ctbg3
家族を殺されて、恨まないということは、自分にはきっと出来ない。
テロに屈しない、恐怖したり反発したりしないということは、出来そうにない。
そんな人でも、相手を誰か知ろうとしないし、相手は魂が死んでいると思っているし、盲信的に殺戮に及んでいると思っている。
きっとそれは公平に見ればその通りなのだと思う。
でもそれだと「そうかまだ無視するのか。じゃあもっと殺さないとな」となるんじゃないか。
欧州からシリアやイラクの「イスラム国(IS)」に参加した外国人戦士の数(推定)は、人口100万人に対する割合では(後略)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20151119-00051597/
「イスラム国」(IS)の外国人戦士の数は継続して増えている。減らない。
はてなブログも、他のブログも、テロ実行犯に対して言葉を濁している。差別に加担しない思慮深い態度だと思う。
本当に例えばだけど、失業していて、政治的な集会に参加している、20台後半のある地域に住んでいる人が、潜在的なテロリストだと言ったとする。
たぶん、過去の事例からそれは事実なんだけど、言葉にした時点で、単なる「仕事を得たくても得られなくて鬱屈としていた青年」はテロ予備軍になる。
なにもしていないのにテロ予備軍と呼ばれた、じゃあテロ予備軍になってやろう。
なにが言いたいかというと、テロリストになる前に止められないのか、という事。
彼らが誰か知りたくもないし、テロリストの心情を慮る必要は無いし、どんな心情でどんな信仰を持って、どういう理路で持って自爆テロに及んだのか、理解する必要はない、というのも態度の一つだとは思う。
ある社会の中に相容れない「異常者」は、どうしても一定数出るだろうし、サイコパス、みたいな言葉もある。理解する努力が無駄な人は間違いなくいるのだろう。
でも、少なくとも今回フランスで起きたテロや、今後起きるかもしれないテロは、理解する努力が必要なのじゃないか。
彼らが何故過激な思想に寄り、なぜ実際に行動を起こすに至ったのか。
でも、テロリストになる前の人達は、話しあえば思いとどまって貰えるんじゃないだろうか。
「イスラム国」(IS)に合流し外国人戦士になってしまう前に。共感してテロを実行してしまう前に。
最初から熱狂的な信者であるとか、洗脳されたとか教化されたとか、そういう自爆テロ実行犯に思えない。
社会が混乱し、社会が分断され、猜疑心が広がって差別が増えるのがテロリストたちの狙いなのだと思う。
テロリストたちとはわかりあえない、テロ予備軍も検挙されるべきだ、理解も対話も必要ないという態度は、
テロ予備軍でない単なる無職の若者をテロ予備軍に変え、テロ予備軍だった集団の最後の一線を超えさせるように思えて仕方が無い。
犠牲者を追悼したいから、大声を出さないでくれと言っている人の映像をニュースで見た。
イスラム教徒は来るなとなじる人に、激高して大声で反論している人に対してだ。
黙れと言っているように見えた。論争は聞きたくないと言っているように見えた。
今必要なのは、不満を持つ人を、追悼するからと黙らせることじゃないと思った。
犠牲者を追悼し、国家を斉唱し、一致団結してテロに対して毅然たる態度を取る集団に、入れない人達が大勢いるように思う。
彼らの大多数は間違いなく善良な市民だし、テロリストには絶対にならないだろう。
それを止めるのは、理解じゃないか。
同質で無いから排除するというやり方では、うまくいかないのではないか。
相手の思想や信条は、テロ以外の方法で行動に移せるのだという説得は、理解から始まるのではないか。
なんで増田に書けば自分がテロのシンパじゃなくなると思うのかロジックが意味不明