http://r-kurain.hatenablog.com/entry/2015/10/28/090554
http://r-kurain.hatenablog.com/entry/2015/11/02/100618
この手の話ではあるある過ぎて見飽きたレベルではあるが、この人も「自分の今のやり方が一番正しい!俺こそ理想的!!」と連呼しているだけでロジックもクソもあったもんじゃない。
逆に言えば、論理もへったくれも無く叫びたくて仕方が無い、そうしないと精神の安定を保てない状態にあるということだ。つまり満たされていないのだ。
タイトルにでかでかと書く勢いで「理想」という言葉を強調しているが、論理に気を配る余裕が無いため(そしておそらく無意識の心理的防衛反応により)、「誰にとっての理想なのか」という前提が文章中でぐちゃぐちゃになっている。
「自分にとっての理想だ」という妥当な意味の振りをして話を進めつつ、結論では「自分にとっての理想でいれば社会あるいは業界から見て理想のエンジニアになれる」と定義をすり替えている。
もちろんそれが真である根拠は何も挙げられていない(そういう人もいる、という極小数の事例を挙げているが、これは根拠ではない)。こんな雑な論理を書き殴ってでも自分の主張(状況)に支持を集めずにはいられないくらいに不安で仕方が無いのだろうと感じさせる。
本当に「自分にとっての理想」が目的なのであれば、それは自分の中で完結するものであるから、支持を集める必要などないはずだ。この人の真の欲求はそうではないのだ。
「家族が出来てそっちを優先したい、でも社会/業界的理想のエンジニアでもありたい」これは有り体に言って無い物ねだりだ。無理筋というやつだ。
そこで彼はこう考えたのだろう「そうだ!社会/業界的理想のエンジニアの定義を変えてみんなをそっちに同意させればいいんだ!」という感じ。
個人の欲求に社会の方を合わせるというのは無理だ。これは子供ができるくらいの年齢まで生きていて分からないことではないだろう。
彼も自分の言ってることが無理筋だということは無意識にかもしれないが分かっているのだろう。だからこんな支離滅裂な文章を書き殴って公開してしまう。
彼が本当にやるべきことはこうだ。全てを手に入れることはできないと受け入れ、「自分にとっての理想」が何であるのかを見極め、そのために何を選択し何を捨てるのかを決断していくことだ。
異なる「理想」を持ち異なる決断をした人間のことを必死に叩いても社会が自分に近寄ってくることなど有り得ないということを理解するべきだ。