2015-10-29

容姿が良い女で、手足がないくらいだから好かれる

「欠損女子」なるものが騒ぎになっている。

機械のごとく、反射的にいろんなことに言いたくないのだが、結局どこまでも人間は綺麗なものに優しくしたくて、醜いものに酷いことをいうことが分かる。

義手・義足の“欠損女子”に会えるバーに潜入

手や足を失って、義足義手をつけることになった人間 ただし容姿の良い女性店員期間限定のコンセプト・バーのお話である

これまた、ブコメを見ていると呆れた。

かわいい! 障害のある人とか、いろいろな人が理解し合える社会になったらいいね!」みたいなコメントで溢れかえっているのだ。

この記事を読んで感動する人間や、障害について理解が深まったとかい人間は何も考えていないに等しいだろう。

この上記のウェブページから引用しよう

カウンターの中に入るアイドル並に愛らしい女性たちが、これまた愛らしい笑顔で出迎えてくれ……と、ちょっと待ってください。思わず見入ってしまったのが、彼女たちの手と脚。

セックスに困らなそうな容姿の足やら手がない女性2人が写った写真掲載されている。

彼女たちが店員だ。

はたして、これが容姿悪い男性 例えば自分のような人間だったら、どうだっただろうか。

自分四肢のどれかがなかったと仮定する。おそらく、容姿の良い四肢のどれかがない女性のほうがずっと優しくされるだろう。

しかしたら、四肢ある容姿の悪い自分より交友関係恋愛、性生活などで恵まれている可能性だって十分ある。

障害などないほうがいいが、手足の欠損というのは、容姿や知能、視覚聴覚にひびく障害に比べたらずっと世の中は優しくするのだ。容姿が良い女性ならなおさら

まり確証はないが手足の欠損というのは、障害のある人間の中では恵まれている。

ロクでもない会社雇用に関わっている自分の父親は少なくともまともな片手がある程度に、手足がない人間を探している。

なぜ、探しているかというとある程度の規模の会社法律障害者を雇わなければいけないからだ。

父は手足がない人間にこだわる。

しかし、なかなかいない。手足がない人間は人気なのだ

結局、どの企業障害者のなかで一番「まとも」な人間を雇いたいから手足の欠損程度の障害持ちの人間を奪い合う。

同じ学部の同じ学年の四肢あるドブスよりも可愛い足がない女を企業は欲しがるだろう。ドブスより足がない可愛い女の方が格上という社会ができている。

この記事サブタイトルは 障害は「かわいい・かっこいい」 である

そんなことをいったら、自分容姿が醜いのもかっこいい とか かわいい と言われるはずだ。

しかし、そうではない。

結局、大抵の人間自分の都合のいい人間 この場合は「手足の欠損がある容姿の良い女性」というのを見て「弱者」を労る気になっているだけだ。

容姿が悪い障害持ちの人間などには、酷いことを言ったり、避けたりするのだろう。

結局、手足がない店員である女の子たちがポジティブになれたとか記事中で言っているが、それは周りにとって、「綺麗な姿」で「都合が良い障害」だから優しくされて、前向きになれただけかもしれない。

彼女が仮に視覚障害があったとしたら、こんな風に外には簡単には出歩かないし、彼女を世の中は褒めない可能性があるということを考えないといけないのだ。

普通に容姿が醜い腎臓疾患持ちの自分よりも、足のない可愛い女の子のほうがみんな好きだ。

自分容姿が醜いが、四肢のどれかを失って容姿が良い女性になりたいかと聞かれると一瞬だけ悩むかもしれないが、今以上に快楽享受できたり、周りに優しくされるであろう可能性があると考えると「YES」と言うかもしれない。

訂正 四肢ですね 恥ずかしいです

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