俺が見たいものは一般のみんなが見たいもの理論で、普通中の普通の人を監督に任命して、上がってくるシナリオや脚本や映像を「普通に面白いか」という視点でジャッジしていくだけで、普通に面白いものが出来上がるはず。
それはさすがに無理。監督が「普通の観客の視点」を持っていなければならないのは確かだけど、その視点でおもしろいものを「作る」のにはただの観客には知り得ない全く別のノウハウがある。
増田は監督を「スタッフが上げてくる素材にyesかnoか言うだけ」のように思ってるかもしれないけど、まあ表面的にはそう言えなくもないんだけど、難しいのは「あらゆるディテイルに関してyesかnoかを判断すること」だ。完成した映画一本を観てそれがおもしろいかつまらないか言うのは普通の人にもできるだろう。でも、他の映像が出来ていない段階で、上がってきた30秒の映像にokを出すには、あるいは撮影時の役者の一言の言い回しをokかngか判断するには、さらに遡って、ヴィジュアルなイメージも無い、配役も決まって無い段階で脚本の一行に込められた意味を判断するには、「まだ具体物が出来ていない段階で全体を見通した基準を頭の中に作る」ことが必要だ。それはスキルの要る専門職だよ。そんで熟練した監督であっても作ってみないとわからないことってのはあって、作ってみたらあの時のあの判断はやっぱり違ってたとか、あの時見逃していたディテイルが結構重要だとわかったけどそれが甘いために全体がユルくなった、とかいうことが起きる。
一旦全部作ってからやっぱりだめっつって直すってことを無制限に出来るなら普通の人を監督に据えてもいいかもしれないけどね。それは無理な前提だから。
で、邦画の現場は知らないので憶測になるけれど、業界が小さいために、ちゃんと育成する体制がないこととか、製作にあたっての健全な競争が少ないことがあるんじゃないかと思ってる。その条件で頑張ってる知人もたくさんいるので外野から批判したくはないのだけれど、米国の現場と比べるとやってくのは色々難しそうだなあと感じることが多い。
映画なんてのはマニアやオタクではなくごくごく普通の一般大衆が楽しめるものを作ってこそだと思う。 俺が見たいものは一般のみんなが見たいもの理論で、普通中の普通の人を監督に...
俺が見たいものは一般のみんなが見たいもの理論で、普通中の普通の人を監督に任命して、上がってくるシナリオや脚本や映像を「普通に面白いか」という視点でジャッジしていくだけ...
じゃあおまえにとって今のうぇーい系はてなブログは超絶おもしろいんだな