いわゆる「一応旧帝」の部類の大学であり、「どこかしらの旧帝に入りたい」とでも思うのか、
そうなると新歓だとか授業だとかで首都圏出身の人間に出くわしたときに高確率で「どこの高校の出身?」と聞かれる。
「どこ出身?」の延長上の質問なんだろうが、これが本当によく聞かれる。
そしてこの質問をされるたびに「また同じ会話をしなくてはいけないのか・・・」と多少面倒な気分になる。
増田の出身は非進学校、良妻賢母系のかなり偏差値が低い女子校の出身。
そしてこの高校、特に部活に力を入れているわけでもなく知名度もかなり低い。ついでに進学実績もよろしくない。
高校の時でさえ、他校の友達に高校名を言ってもほぼ通じなかった。案の定、大学でも通じず毎回毎回微妙な空気になるのだ。
増田は思う。「首都圏に高校なんてごまんとあるんだから、こうして高校名を聞いて気まずくなるくらいなら聞かない方がよくね?」、と。
だが、大学生活で周囲のやり取りを見ているうちに、他の首都圏出身者は自分と事情が違うことに気付いた。
「どこの高校出身?」「○○です」「ああ、あいつと一緒だ。たしか××にあるんだっけ?」
どうやら、首都圏から地方旧帝に行く人間の出身高校はほぼ固定化されているようなのだ。
「一応旧帝なんだから」と高校教師に勧められ、一人暮らしもしてみたいし行ってみるか、とかそういうノリなのだろう。
そして、東大だとか京大だとかにコンスタントに合格者を送り込むような有名進学校出身の人らは同じような進学校の名前を認識しているらしいことにも気が付いた。
「こいつの高校に落ちた人間がうちの高校にくるんだよなー」とか。「うちの高校では」じゃなくて「○○ではこうだったんだよ」とか。正直訳がわからん。
偏差値60超の高校出身の人間と偏差値40ちょいの高校出身の人間が同じ教室にいるという超ロックなことに気付く。
一応高2で高校の履修内容はほぼ終えていたが、同級生の進学先はよくてMARCH。早慶や首都圏中堅国公立は毎年出るけども人数がかなり少なく別格扱い。
東大なんて数年前に一人出たような気がするなとかそういう感じ。増田が現役でこの大学に受かったのも高校で軽く騒ぎになった。
おそらくあと数年は高校で後輩たちに語り継がれ、教師らの茶飲み話となるだろう。
首都圏の中堅の国公立に進んだ同窓の人間も少し科目を足してうちを受けばそれこそ余裕で受かってたのだろうけど、
そこは女子校ゆえか、推測するにそれを勧めるような高校教師も親も少ないようだった。
そして増田は前述の通り「とりあえず旧帝」の考えだったので今現在に至る。
このことを大学で知り合った人間に話すとまたコメントに困られたり、「増田は努力したんだね」と言われる。
「別に世の中の高校全部が進学校じゃないし。」と言いたいのをぐっと堪えて、
(向こうは自分らの方がトクベツだってことに気付いていないんだ)と適当に流している。
こうした話題になると高校でも大学でも身の置き場がないな、と内心苦笑しつつ、
増田はなんとなく落ち着かない気分になる。
高校の受験のときに頑張らなかったせいだ、と自省するべきなのか、
どっちが正しいのか、どういう態度を取ればいいのかがわからず毎回困惑して挙動不審な対応をしている自分だが、
その裏では自分は誰とも違うトクベツなんだとうぬぼれているのではないだろうか。
そんなことを考えながら食事を突きつつも、早くこの流れが終わらないかなと会話を聞いている。
そういうの単なる会話のきっかけに過ぎないからマジメに答えなくていいんだよ なんか話題を変えるパターンを作っとけばOK なんかいかにも地方旧帝に行く人の考え方だなあ。えらいな...
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連絡先はちゃんと教えてあるのか? 同窓会で呼ぼうにも連絡先不明の人が何人か居るんだが。
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