2015-09-27

政策倫理的考える人について

↓の為末大さんなる人に関するまとめ見てて思ったのだが、

http://togetter.com/li/879046

世の中には、政策の是非を判断する時に、倫理を主軸に置いてしまっているが結構いるのだろうと思う。

「その政策有効無意味か。リスクはどうか」という観点ではなく、

「その政策倫理的に正しいか間違っているか」という観点判断してしまっているのだ、

と考えると、上記の記事で末為氏に噛みついている彼らの言動の多くが理解できてくる。


自分見解論理的に正しい」ではなく「自分見解倫理的に正しい」と考えているから、

反対意見に相対した時、

「相手の論理瑕疵がある」と考えず、「相手の倫理感がおかしい(相手は人格的に卑である)」という方向で物を考えてしまうのだ。

そりゃ、安倍サタンだと言い出す人も出てくれば、

「負けだ」という人に噛みつきもするだろう。

妥協余地も無いに決まっている。

だって、彼らは正義のために悪と戦ってるつもりなんだから

悪への敗北も妥協も許されないだろう。



これは何も左翼に限ったところでもない。

はいわゆるネトウヨと呼ばれる類の人間だが、

第二次大戦時の日本の是非については、ネトウヨ仲間同士で対立がある部分ではある。

俺はナチス日本も相当酷い事をやってたと判断してるし、その動機アジア解放何かじゃなくて国益軍部組織論理が主だっただろうとは考えているが、

一方連合国側も捕虜虐殺したり民間人虐殺したりその後植民地を奪い返そうとしたりしてる分、

正義と悪の戦いなどではなく、ごく普通の国益と国益がぶつかった戦争に過ぎなかったと考えているが、

どうにもこの考え方が許せない人たちもいるわけだ。

彼らは政策倫理的に正しいか間違っているかで考えてしまうので、

俺が「いや、日本は相当酷い事やってるだろう」とか書こうものなら、「証拠を出せ」の方向で戦闘モードに入ってしまう人が続出して、

政策決定プロセスのどこに瑕疵があったのかとか、誰のどこに計算違いがあったのかとか、その反省を踏まえて日本政府の仕組みのどこをどう変えるべきなのかとか、

そういった俺から見たら建設的な方向に議論がすすまないのだ。


俺のようなネトウヨは、いわゆる左翼人間を、

利害対立している勢力(主に中韓)の言う事を素直に真に受けてる馬鹿

または

他国の歓心を買う事が平和への道だと思っている脳みそ花畑野郎

だと考えているが、道徳的に劣る人間だとは考えていない。

要するに、「頭が悪い」の方向で相手をバッシングしているのだ。

およそ政策を論じる時に、主義主張が異なる人と議論する時には、

「どちらが道徳的に間違っているか

ではなく

「どちらの政策がより現実に即しているか

で考えるべきだと考える。

そうでなければ、為末氏の言う「変わるつもりのない相手とは話しても無駄」という状態になってしまう。

そういう点で、為末氏の言う事にも一抹の誤りがあると俺は思う。

彼らは「ベストの選択にこだわる」から妥協しないのではない。

相手が悪の手先に見えているから、妥協できないのだろう。


相手に「悪」レッテルを貼った瞬間から妥協議論もできなくなる。

それではだめなのだ

あんたを非難している相手は、馬鹿かもしれないが悪ではない。

そう考える事はできないだろうか。

政策について議論する時は、「悪」封印するべき禁句なのではないだろうか。

「お前は馬鹿だ」は言っても良いが、「お前は悪だ」は言ってはならないのだ。


俺達が世界を牛耳る組織の大幹部だとでもいうならいざ知らず、

俺達は小市民であり一国民に過ぎないので、政策の結果は右も左も関係なく平等に受け取ることになる。

政策がどっちに振れようが、右翼左翼で受け取る結果に大した違いは無い。

悪も善もあったものではない。

「お前は馬鹿だ」の方向で議論してほしいと思う。

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