しばらく疎遠だった従姉妹からようやく送られてきたメールは結婚の報告だった。
ぼくは従姉妹のことが本当に好きだったのだ。
2つ年下の従姉妹とは小さい頃によく遊んでいた。姉妹である母親どうしが祖父の会社で手伝いをしていたためいつもお互い連れられて来ていたのだ。
まだ幼い時の話ではあるが、親戚同士で旅行に行けばいつも二人で手をつないで歩いていたし寝る時ですら同じ布団に入っていた。
長女である従姉妹は兄が欲しくて、末っ子であるぼくは妹が欲しかった。そんな思いが一致したためか二入は本当の兄弟のように仲が良かった。いや兄弟以上だったかもしれない。
長女らしく優しいおっとりとした性格は、従姉妹をいつもにこやかな笑顔にさせていた。
兄弟の顔色ばかりみていた末っ子のぼくにしてみれば、ぼくの行動を無条件に笑顔で受け入れてくれる従姉妹は、隣にいてくれるだけで安らぎをもたらしてくれる存在だった。
ぼくはそんな従姉妹のことがいつのまにか本当に好きになってしまっていたのだ。
祖父が会社をたたんでしまったことで顔を合わす機会は減ってしまったが、小学生になっても休みになればお互いの家を行き来し、母親同士の仲が良かったこともあり旅行なんかもよく一緒に行ったものだった。
そんなある日、久々に親戚同士が集まることになった。
鬼になったぼくはちょうど目の前いた従姉妹の身体を抱えるように捕まえたのだ。
その時ぼくの両の手飛び込んできたのはわずかながらも確かな胸の膨らみだった。
従姉妹は戸惑うぼくの手からそそくさとぬけ出すと、そのまま鬼ごっこをやめて離れていってしまった。
その日を境に従姉妹は親戚の集まりから遠ざかるようになり、中学校に上がる頃には全くと言っていいほど顔を出さなくなっていた。
それからも会う機会を探してはいたものの、本当に理由を見つけることができなかった。
ただ会いたい。それだけでよかったのかも知れない。しかし、従姉妹という関係がそれを許してはくれないような気がしたのだ。
その後は人並みに女性ともお付き合いをしたが、従姉妹よりも魅力的と思える女性には出会うことはなかった。
忘れられないまま、それでいて会う理由もないままにいつの間に時間だけが過ぎ、ぼくは実に30も後半を迎えるまでの歳になってしまった。
いつまでも結婚しようとしないぼくに母親はしびれを切らせ会えば小言を並べてくる。
そうこうしている間に、とうとう母親の知人の紹介でとある女性とお見合いをすることが決められていた。
会ってみて驚いたのは、その女性はなんとなくではあるが従姉妹の面影を持ち合わせていたことだった。
その頃、従姉妹もまだ結婚をしないままだった。だが、散々に悩んだ結果、ぼくはその女性との結婚を選んだ。
結婚後すぐに子供にも恵まれ、人並みに幸せを噛み締めていた頃に悲しい知らせが舞い込んできた。
伯父である従姉妹の父親が病に倒れたのだという。しかも残念ながらその病は回復の見込みがないものだった。
母親とともに駆けつけた病室には、ぽつんと従姉妹は座っていた。
看病で疲れたためかすこしやつれて見えたが、すっかり一人の女性に成長した従姉妹はただただ美しかった。
そんな従姉妹は、ぼくに気づくと悲しさを見せまいと力なく笑ってみせたのだった。
その笑顔があまりに綺麗で、従姉妹に対して抑えていた感情の堰が音を立てて壊れていくのがわかった。
やはりぼくが好きなのは従姉妹だった。その気持に蓋をして得た幸せが間違えであることに気づいてしまったのだ。
しかし今更それをどうすることもできない。新しい命を前に、それが望まれていなかったものだなんて言えるわけがないのだ。
程なくして伯父さんが他界した知らせが届いた。
葬儀に顔は出したものの、ぼくは従姉妹に合わせる顔など持ち合わせているはずもなく、言葉を交わすことはなかった。
それから数年、従姉妹とはまた疎遠だった。それこそ連絡をする理由がなかったのだ。
ぼくは気づいてしまった真実をまた心の底奥深くに埋め戻そうと、必死で家族と向き合っていた。
そんな従姉妹から久々にメールが送られてきた。内容は結婚の報告だった。
ぼくの気持ちを知ってか知らずか、結婚式でカメラマンを頼みたいということらしい。
どこで聞きつけたのか、疎遠だった割にぼくが趣味で写真を撮っていることを知っていたようだ。
もちろん断る理由はなかった。
なぜなら、ウェディングドレスの従姉妹を、誰よりも、それこそ新郎よりも近くで見ることができるのかもしれないのだから。
その後もメールで少しのやり取りをしながら、最終的な打ち合わせは当日に顔を合わせてからということになった。
逃げ出したい気持ちがなかったわけではない。こんなに私情にまみれたままで写真なんて撮っていられるものかという疑問がいつも頭の片隅にはあった。
そうして当日、チャペルの中でホテルの関係者と打ち合わせをしていると、純白のドレスに身を包んだ従姉妹が母親に手を引かれながら入ってくるのがわかった。
挨拶もままならないままに思わずカメラをむけると、従姉妹はあの時のようにまた力なく笑ってみせたのだった。
そうして今ぼくの手元には千を超える写真が手付かずのままにデータとして並んでいる。ただ一枚、その時の笑顔が収めらた写真の調整を終えたところで、他の写真に手を伸ばせずにいたのだ。
従姉妹がこの笑顔を見せたのはこの時限りだった。それ以外の写真には感動の涙と笑顔が溢れているが、それを見るのは、ぼくにはただ辛く感じられてしまった。
式場で初めて新郎を見た時に、ぼくはハンマーで殴られたかのような衝撃を覚えた。
なぜならギョッと思えるのほどに新郎がぼくに似ていたからだ。それも顔や表情だけではない。言葉の選び方や身振り手振りまで、本当に気持ちが悪くなってしまうほどに似ていたのだ。
誤解かも知れない。独りよがりかもしれない。
でもきっと、従姉妹はぼくのことを好きでいてくれたのだ。ぼくが会いに行くのを待っていてくれたのだ。
なのにぼくは、世の中の常識だなんてつまらないことに遠慮して、従姉妹を困らせてしまうかもしれないなんて都合のいい解釈をして、逃げてしまった。
あの時、父親の病室で見せた従姉妹の笑顔は、あきらめを受け入れる笑顔だったのだろう。もう助からない父親の死を少しでも前向きに受け入れるためのスイッチが入る瞬間の笑顔だったのだ。
だとすれば、従姉妹が純白のドレスに身を包んで現れた時に見せた笑顔も同じものだろう。
ぼくへの想いと期待とを、もうあきらめたのだということを教えてくれるための笑顔だったのだ。
なんのことはない。
結局は、ぼくが一番に望むものを手放していたのは他でもないぼく自身だったということだ。
きっとこの写真を従姉妹に渡すことはないだろう。それどころか、他の誰ひとりにだってこの写真を渡すつもりはない。
10年ほど前だろうか。自分がまだ独り身の時に、お酒の勢いを借りて従姉妹の携帯に電話をかけたことがあった。
聞けば流星群を見に遠く離島へのツアーに参加しているとのことだった。
そんなぼくを疎ましくもせず従姉妹は電話に答えてくれたのだった。
「従姉妹」を「実の妹」に変えてやりなおし。