オリンピックエンブレムの記事で思い出したけど、この間キングコング西野亮廣の個展に行ってきた。
西野が好きだから行ったのではない。青山の別の画廊に用があって、その帰りにたまたま立ち寄ったのだ。
※ここから先、芸術やキングコングに関する専門性を持ち合わせていない人の感想
ネットでちらっと見た感じではあまり評価されていないような印象を受けたが、実際に見てみるととても緻密でうまいし、ノスタルジックな画風としてありだと思う。
洞窟のように細くて長くうねるかわいらしい通路の壁中に絵が展示してあり、それと同じくらいの数の西野の絵本も展示してある。来場者はそれを手にとって眺めたり、気に入ったら購入したりできる仕組みだ。ちなみにBGMは素朴で温かみのある日本語ロックであった。
画廊の片隅で、いかにも業界人という感じの男性スタッフと女性スタッフ数人が大声でしゃべりながら床で作業をしていて、どうしてもそっちに注意が行ってしまった。
客層も、テレビの観覧席にいるような若くてきれいで流行の格好をした女の子たちが中心でずいぶんと華やかだった。
西野氏とその周辺もずいぶんと騒がしかった。芸能人って本当に声でかいな(ただ、在廊していらっしゃったことは評価できる)
わたしは確信した。ここはアーティストが作り上げた空間ではない。芸能界の一部だ。
彼が芸能人じゃなかったら、いったいどのくらい評価をもらえたんだろう。
果たして、純粋にアーティストとしての西野を支えている来場者はいかほどいたのだろうか。
芸能人が絵を描いているからちやほやして群がっている。傍から見るとそんな風に見えた。言い方が悪くて申し訳ないが、どんなに本人が頑張って描いても、羽田陽区のCDやネタ本と一緒だと思った。
この環境から脱出しない限り、本質的なアーティストとして認知されるのはなかなか難しいんじゃなかろうか。
有名人であるということはとても大きなアドバンテージだ。その恵みを抜きにしても魅力的なアーティストになれるかどうか。
元々お笑い芸人として非常に有名である以上こうなってしまうのは仕方のないことだし、芸能人とアーティストの活動をどのくらいの比率でやりたいのかは知らないので増田でとやかく言うことではないが、個人的に重要な問題であるように感じる。