2015-08-25

カーチャンは悠久の向こう

タイトル意味は無いが、元ネタがわかった人は仲間。

ネットで他者に対して「なぜこうしてくれなかったのか」みたいなことを書いてる人に対する定番煽り最近はあまり使われてない気もしないでもないが)として

「**はお前の母親じゃないんだ、そんなふうにお前を全肯定してくれるのなんて母親だけだ」

っていうのがあるじゃない。

何が言いたいかはネタ元の理論を含めてよくわかる(すくなくとも、わかるつもり)。

母親というものは全身全霊をかけて子供を愛するものだ。少なくとも物心つかないような年齢の赤ちゃん幼児に対してはそうだ」

みたいな一般認識に基づいた、

他者に「無償の愛」的な肯定を求めるお前は、幼児的だ」

という批判なのだ、ということは。

でも、、自分は実感としてどうにもこれがピンと来ない。

自分にとっては

「この世で一番自分肯定してくれなかった存在、それは母親だ」

という認識から

別に自分は「虐待されていた」とは思っていない(ただし、現在基準に照らせば「子供に対する虐待」の基準は満たしていたとは思う)し、虐待されてたとしても、当時としても現在としても特段酷いレベルではなかったと思っている。

今でいうところの「毒親」だったのだろうが、それでいうならそんな人間はありふれていただろうし、自分も「こんなひどい親を持っているのは世界自分だけだ」的に思ったことはない。

失礼な思い方だが「自分以下」の家庭環境同級生や先輩や後輩はいくらでもいたし、本や新聞テレビ映画といったメディアで描かれている「特に子供を溺愛しているわけでもない普通の親」というものは、だいたい自分の親と同じだな、と思っていたから。

でも、とかく自分母親に「肯定された」という思いも覚えも記憶もない。

自分にとっては母親は「自分自発的に何かをやると「そんなことはやめろ」もしくは「いつそれを「卒業」するのか」と必ず言ってくる人」でしかなく、優しくされた記憶が無いわけではないが、肯定されたり是認されたりした覚えがない。

(なお父親は自分にとっては「とにかく家族には興味のない人」で、「肯定的になってくれない代わり否定的にもならず、無干渉なので母親に比べればずっと楽」な人だった。いや今も現在進行形でそうだけど)

自分自覚が足りないだけで自分は「毒親にとてつもなく酷く虐待された人」なのかもしれないとは思うし、その可能性の方が高いような気はするのだけど、それにしても、

「**はお前の母親じゃないんだ、そんなふうにお前を全肯定してくれるのなんて母親だけだ」

というのは、世間一般の人、少なくともここ読んでる増田達にとっては、「引っ掛かりを感じない」ワードなの?

もちろん「そうだからこそ(多くの人がそこに引っかかりを感じるからこそ)煽りに用いられるんだよ」っていうのが大きいんだろうけども。

繰り返しになるけど自分は上記の煽りを目にする度に

「そんなふうに子供を全肯定する母親なんて存在してんのか?」

と思ってしまう。

上に書いたような前提に基づく煽りなのだとしても、みんな「母親なんてこの世で最も自分肯定しなかった存在だろ」と思って大人になってないのか? と。

そうでないとしたら、自分は珍しい方なのか? と。


※注:これ書いた増田男性です

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