この年になって恥ずかしい話なのだが、私はまだ親にある種の確執を抱いている
いつまでも親のせいにしてはいけない、と頭ではわかってるのだが、どうもそうすんなりはいかないのだ
多分、どこかに吐き出していかないとぐるぐるとまわってしまうから、ひっそりと書きだしていこうと思う
通っていた幼稚園では、園児の誕生日になると担任の先生とツーショットで写真をとるイベントがある
笑って、笑ってと言われる中、うれしさがあったくせに必死に頬を噛んで笑みを殺していた
結果としてひどくぶすりとした表情の園児が満面の先生と映り込む、どうにも奇妙な繪面ができたわけだ
思えばあの頃から自意識が非常に過剰だった私は、運動会の時にとったビデオを見ながら、両親がブルマからはみでた私の太ももを、
太いとか、ぶるぶる震えているだとか、そういった言葉を吐くたびにそんなに笑うなら見てくれるな、と思っていた
結果として私は自分が映る何かを親と一緒に見たことがない
バカにされるのがいやだったのだ
今にして思えばぼんやりと、それが親にとってからかいの域を出ないものだったのだとわかる
葬式は開いてほしくないし、写真だって一枚も人様の手元に残しておきたくないと思う
葬式で集まった親族や知り合い、友人が通夜を済ませて晩飯をつつきあいながら、こんなことがあったねとか、あんなことがあっただとか、
そんなつもりはないとわかっているし、そんなに底意地の悪い知り合いがいないこともわかっているが、それでも私抜きの集まりで、
何か私に対して非常に不利益な、不名誉な、そういったことを離される可能性を1つでも潰してやりたいのだ
親には骨も抱かせたくない、行方不明のまま死体も見せず、永遠にいなくなってしまいたいと思っている
このどこか反抗期の子供が抱く随分と攻撃的な感情は、未だに私の心の片隅に居座っていて、ときどきひょっと顔を出してしまう
小学校のころから、将来の夢は14歳までに死ぬことで、いなくなる方法について10数年も考え杖づけていたわけだから、これはもう根深い問題なのだろう
ともあれ、私はできることならだれにも知られずにひっそりと死んで、いつかの同窓会でそういえば知ってた、と少しだけ話題に上ればいいと思っている
これは、死んですぐなら同情や興味もわくが、死んで数十年たってしまえばだれもかれも驚くばかりで深く聞こうとする稀有な人間などいないだろうと思っているからだ。