2015-07-09

おじいちゃんの脳

会ったことのないひいおじいちゃんの頃から私の家は開業医をしている。怪我や病気を治すおじいちゃんとお父さんをずっと見てきた。特におじいちゃんは近所の人からも人気で私が小さい時はよく手をつないで近所を散歩すれば道行く人に話しかけられた。私は8人いる孫の中で唯一の女の子だったのでたいそう可愛いがられたという自覚がある。おじいちゃんは私になんでも与えてくれた。物しかり知識しかり。忙しいお父さんとお母さんが運動会に来てくれなくてもおじいちゃんが一緒におにぎりを食べてくれたので寂しくなんてなかった。

おじいちゃんはなんでも知っていた。道端に咲いてる花の名前、鳴いている鳥の名前明日の天気。おじいちゃんは私のヒーロー先生でおじいちゃんにできないものなんてないと信じていた。

進路選択を迫られたとき私は迷わず医学の道へ進んだ。この何もない田舎には最先端技術を取り入れなければと思い東京上京もした。東京での生活毎日刺激的で辛いこともあったけれど充実している。ちなみに今現在希望しているのは脳外科医だ。何科の医師になるかなんて学友とは話したことのないのではてな匿名ダイアリーだけの秘密にしてほしい。少し恥ずかしい。それでも脳は素晴らしい人間の魅力なんだと思う。半分以上読み取れない脳外科の専門書を1ページ丸々通学時間を使いながら南北線でにやけてしまうのは致し彼方ない。

つい先日、実家から電話が来た。近いうちに帰省してほしいとのこと。放任主義な家庭で帰ってこいと言われるのは珍しく、柄にもなく嫌な予感を抱えながら嗅ぎ慣れた潮風と共に自宅へと戻った。いつもの診療台の横の机にはおじいちゃんの姿はなかった。おじいちゃんは13時という時間にも関わらずパジャマテレビリモコン一生懸命エアコンに向けていた。おじいちゃんと声を掛けても私のことなんて見もせず絶対つかないエアコンへとボタンを押し続けていた。認知症。頭では理解できる。あの分厚いテキストに何ページにもかけて書いてある。レビー小体が溜まって脳細胞破壊されていくのだ。あんなに美しいと称賛していた脳が怖い。誰しもが平等に起こりうる症状なのだとわかっているからこそ、分かりきっているからこそ、あの強く優しく賢いおじいちゃんに名前を呼んでもらえないことが辛い。




私は明日東京へ戻る。一単位でも落としたら留年だ。休んでる暇なんてない。きっと帰ったらまた同じように必死レポートテストに追われる日々が待っている。その日々の中で脳外科の専門書を読みその可能性にトキメクのだと思う。

おじいちゃんの脳は怖いのに、人間の脳は美しいと思うのは可笑しいことだろうか

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