2015-06-22

戦前関西鉄道関東の各社と比べると比類なき発達をしていた。

京阪複々線は、昔からあるのがすごい。

1933年昭和8年)12月29日蒲生信号所 - 守口駅複々線化。当時私鉄最長。

京阪の子会社が作った新京阪線(今の阪急京都線)の地下線の西院駅 - 大宮駅間は1931年開業

天神橋駅 - 大宮駅間をノンストップ34分の俊足だった。

鉄道省は、対抗して関西急電と呼ばれる、料金不要優等列車を設定。1936年には、流線型の車体デザインの52系(流電)を投入。現在新快速の礎を築いた。京都駅 - 大阪駅間を34分、大阪駅 - 三ノ宮駅間を25分。

大阪市営地下鉄御堂筋線は、1933年昭和8年)5月20日:1号線 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) が開業

開業当初、御堂筋線わずか1両編成での運転だったにも関わらず、当時からすべての駅のホームが、将来を見越して 17 m 級車による8両編成に対応するように建設されていた。

さらにいうと、東洋初の東京銀座線と比べると電車が一回り大きい。

近鉄前身ひとつの参宮急行電鉄は、大阪 - 伊勢間130km超の長大電車路線を作り、1932年昭和7年)には、上本町駅 - 宇治山田駅間を2時間1分で走破した。ライバル鉄道省準急列車は、3時間、鈍行は5時間かかった。20m級車体で最高時速110km/h、二等客車並のクロスシートが装備された。21世紀初頭の電車と遜色ない性能があった。

阪和線前身の阪和電気鉄道では、1933年超特急の運転を開始、阪和天王寺 - 阪和東和山間を45分で結んだ。表定速度81.6km/h。まじで速いよ。特急こだま号が登場するまでの日本で最速の鉄道だった。

戦前の話じゃないけど、自動改札機1970年台には関西私鉄の主な駅にあった。大阪万博から続く未来がそこにあった。国鉄は人がきっぷにはさみを入れていたけどね。

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