2015-06-13

空想だか思弁だか投機だか。

ある人が衝動制御することが難しくなるという症状もある精神病に罹り、

その状態で激しい外傷をともなう殺人を大量に行ったとする。

その人は病気に罹る前か少なくともかなり悪くなる前から

動物の激しい外傷をともなう画像を見たり、

実際に動物に激しい外傷を加えつつ殺すことによって快さや楽しさを感じていたとする。

その人が外傷等を好むような性質は、

もともとそのような性質はなかったが自ら流されるままに学習や条件づけや習慣づけによって獲得したか

もともとそのような傾向はあったが学習等によって努めれば修正可能な程度だったとする。

このとき、上の精神病があったとしても、精神病になる前に学習によって外傷を好まないように努めていたら、

上の外傷を伴う大量殺人は起こらなかったとしたら、

加えて、外傷を好むような性質があっても精神病に罹らなければ大量殺人は起こらなかったとしたら、

その人の責任はどういうもので、どのくらいなのか。

外傷を好むようになった過程はたとえば次のようなものかもしれない。

その人は少なくとも元々は外傷に強い嫌悪感を覚えることはなかったが好むわけでもなかったとして、

なんらかの激しい外傷や殺人描写を含むが、それだけが楽しい要素ではないメディアを、

もともとは外傷や殺人描写ではなく他の楽しい要素を目的で楽しんでいたが、

学習だとか条件づけだとか習慣だとかによって、外傷や殺人も楽しめるようになったのかもしれない。

激しい外傷をともなう殺人だと他人ごとの人も多いだろうけど、

性犯罪だと他人ごとではない人も多いだろうな。

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