僕のばあちゃん(母の母)は、明治生まれの文盲だった。その時代の文盲率がどれくらいだったのか、貧しかったから小学校へ行けなかったのか詳しくは知らない。九州の純農村地帯。
母は、ばあちゃんが50歳くらいの時にできた子供(九女)で、僕がそれを知ったのは大人になってからだいぶ経ってからだった。そして僕は兄(長男)が子供のときに亡くなってから次男として生まれた。
だからばあちゃんは、僕にとって祖母というよりは曽祖母という感じの人だった。父方の祖父母も母方の祖父もかなり前に亡くなっていたので、僕はじいちゃんは知らないしばあちゃんと言えば彼女だけだった。
ばあちゃんは、僕が物心ついたときには既にボケはじめていた。僕が遊びに行くと20分おきに名前を聞かれた。ハッキリ言ってウザかった。
でも、ばあちゃんは、慈悲深く、愛情深く、信心深く、穏やかで悟ったような人物だった。おそらく若いときはけっしてそうではなかったと思う。でも、僕は若い時のばあちゃんを知らない。
そして僕が10歳のときにばあちゃんは92歳で亡くなった。母は、隠れて泣いていた。僕は悲しいと思わなかったが、母が泣いていることが悲しかった。
母が、ばあちゃんの年齢に近くなってきた。そして既にボケて入所している。でも、昔の話は比較的覚えている。その中で物語を作らなければならない。認知症は会話することが大事だからだ。物語の中のばあちゃんは、もちろんまだ生きていることになっている。そして物語の中心人物だ。
「今日は、ばあちゃんが○○と言ってたよ」
とか
「今日は、ばあちゃんが○○してたよ」
を方言丸出しで言うと、母は安心して子供のようにニッコリと笑う。それが嬉しくて今日の物語はどんな感じにしようか考える。
ばあちゃんは、豆粒のような取るに足らない嬉しいことや良かったことを何万倍にも膨れ上がらせて喜ぶ心を持っていたことを思い出した。
そうだ。これだ、と思った。