2015-05-24

60-35

4月末で父親が定年退職となった。60歳。彼が25歳の時の子から、俺は35歳。彼女いない歴年齢、度胸もなく童貞地方SI屋で奉行を売って暮らして、週末はずーっとプログラミングラノベを読む。ジャンプは土曜。

今この瞬間子供ができたとしても、俺が定年になるとその子は25歳。自分が25の時は院を出て働き始めた1年目だ。今思えば何の役にも立ってない。俺がこうしてのんべんだらりと暮らしていられるのは両親がまずもって経済的に自立していて、かつ、どちらかというと自立しすぎていて俺の稼ぎは100%俺の物だという状況だからだ。俺の子どもには俺の年齢までこの環境提供できないことが確定している。

年を取ってから結婚して、例えば40で結婚して、42で子供ができたなら、その子が18歳の時に定年を迎える、となる。高校卒業世帯の稼ぎ頭がその役目を全うするのだ。28のときに70歳。現実的に考えて要介護認定1をもらっても不自然ではない。

晩婚化、出産高齢化、というのは、母子への危険というその場の問題ではなく、20年後くらいにすべてが破たんする時限爆弾だ。先の例のように18歳で父親が定年を迎えた場合に進学できるのだろうか。進学できたとしても在学中に親の介護が始まった場合なんてもう人生アウトだ。就職しづらく、彼女もむつかしい。つまり結婚できない。父親の自堕落さ、自分のために時間貨幣を消費し続けた結果が世代を超えて悪影響を与え続ける。影響を与える先がなくなる可能性が一番高いのだが。

そういう時代だと判っているのか、言い出せないのか、あきらめているのか、それとも他の理由なのか。両親は俺に恋人やら結婚の話はしない。定年後は近くに立てた新居に暮らす息子夫婦の孫の面倒を見ながら年金でつつがなく暮らして、みたいな、人生の終わりにそれまでの帳尻を合わせる幸せ提供できそうにない。

こう考えると、子供なんて不幸の再生産でしかないのだから適当にティッシュ相手にするほうがもっとも不幸が小さいのではないだろうか、と考えてしまう。ただ、今、父親と母親の顔が見えているのは辛い。こんなこと考えもしなかった。どこかで、このまま暮らしていても、いつの日か彼女ができて、結婚して、子供ができて、家立てて、みたいに信じてた。死ぬ五秒前まで、自分の足で歩いて、手で箸を使って、歯でかんで、自分トイレに行けて、知性は曇らず、言葉も淀まず生きていられると信じていた。そのすべては嘘だ。俺は彼氏にも、夫にも、父親にも、孫を連れてくる息子にも、なれなかった。決してなにものにもなれない、生まれから今日まで俺でしかなかった。明日も俺であるだけだろう。

父親が定年になって2か月。連休が明けたくらいからまた働き始めた。たぶん、そうしないと時間がつぶせないのだろう。母親は夫と俺の弁当毎日作っている。自宅を毎日掃除している。俺の部屋だって掃除してくれている。俺のパンツ洗濯してくれている。

俺はなにをしているのだろう。

  • 同世代、童貞、地方、派遣、両親癌で死去 介護してたので、「こんどは自分の人生を〜」 なんてことを言われるが、やる気でない 孫でなくてもできることがあるのではと思う

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん