逆を返すと、テレビや雑誌などで美人ともてはやされる女性に心がときめいたことがない。
当然大切なのは性格だ。しかし、見た目の好みがメジャー志向じゃなくて良かったと思っている。
まず何より競合が少ない。
同性と異性の好みについて話をしても、かぶることがまずない。
例えば合コンをしたとしても、狙っている相手がかぶったという経験をした試しがないのだ。
それに比べてメジャー志向が強い友人たちはいつも奪い合いをしていたし、時に略奪愛などの醜い争いを見せることすらあった。
そうして一時”ブス専”というレッテルをはられたことがあり、過去に一度だけ彼女と呼べる女性に「あなたがブス専って本当?」と聞かれたことがあって返答に困った。
そのことが原因かその女性とは長くは続かなかったが、今であれば「見た目より中身を大切にしてるんだよね」とかうまく答えられたかもしれない。
結婚をした相手の顔は正直あまり好みではなかった。それ以上に性格や生活習慣、生い立ちの文化が似ていたことが決め手となって結婚に踏み切ったのだ。
世間では美人と言われる顔立ちらしく、ぼくをブス専と呼んでいた友人たちは一様に裏切られたと文句を口にしていた。
相手にしてみると今までは美人だとちやほやされてきた自覚があるらしいのだが、見た目にはほとんど触れずに性格や背景などに興味をもってくれたぼくを信用できると感じてくれたそうだ。
だとすればなおさらに申し訳ない。あなたの見た目には興味がなかっただけなのだ。
喜ぶべきことは、男女一人ずつ授かった子供たちは可愛らしい顔をしていることだ。
ただ嫁に似ただけならつまらないと感じただろう。思えば自分という要素が加わってより不完全さをましたことが可愛らしさと感じられているのかもしれない。
思い返すと、過去に好んだ女性の顔立ちについてもどこか不完全でアンバランスだった。
おもちゃだって完成したものを手に入れるよりも作り上げる楽しさが残っていたほうが魅力的だ。じつに単純な話だったのだ。
おかげさまでここまでつまらない女性問題に巻き込まれたことがない。
世にあふれる美女たちと見比べてパートナーが劣っているだのと感じたことはないし、そもそも好みと思える女性に出会う機会も少なかったからだ。
メジャー志向の顔立ちを好む男性は苦労をしていると思う。倍率が高い上に手に入れてからも競争を強いられるのだ。
嫁には申し訳ない話かも知れないが、嫁が美人と言われる理由が理解できないままに女性の好みがメジャー志向ではなくてよかったとすごす今日このごろである。