2015-04-03

シェアさせていただきます」ってなんやねん!

例えばFacebookなんかで

シェアさせていただきます。」

という言い回しが、

謙虚さに隠れた自己主張だという捉え方が成されて久しい。

こういう謙虚さと自己主張の共存って、

SNS文化として浸透してなお強く認識された感覚だと思う。

いわゆる社会科学の一つ。

慇懃無礼的なものとしては、昔からあったんだろうけどね。

SNSの浸透によって亜種からさらに新種としての現象が起こっているように思う。

ネット社会という非現実感事実上の超現実とのギャップ

ネットでの発言自体自己主張であるにもかかわらず、謙虚さを主張しているという言語と行動の矛盾

謙虚さの裏側にある、私にはこの良さがわかる(時には私にはわかるけど、あなたにはわかるかな?)という優越感

など、謙虚投稿矛盾する主張が共存すると、

何とも違和感が甚だしい。

○○セミナーに参加させていただきました

○○さんとご一緒させていただきました

○○の認定いただきました

など、どれも謙虚さと主張の共存だ。

文化として、言語内にある謙虚さと主張の共存が進むと、

○○させていただきます

額面通り謙虚さとして受け取ること自体が破たんしうる。

要は、

○○させていただきます、が謙虚記号ではなく、

主張の記号へと寄ってくるという事だ。

シェアさせていただきますにはその主張の記号としての傾向があるように思う。

そこから謙虚さを感じるより、

違和感やある種の主張を感じる人が多いのではないか。

近々、○○させていただきます謙虚記号として使うことを危険と感じる人が多数を占めて、

また新たな言語操作が生まれるんだと思う。

なんだろうね。

少し楽しみ。

***追記***

「~させていただく」に違和感を感じる理由として、

そもそもの、それの用途に沿った使い方がなされていないからだという指摘があって、

調べてみて、少しだけ追記。


「~させていただく」の要件

(1)相手側や第三者の許可を受けて行い、

(2)そのことで恩恵自分が受けるという事実や気持ちのある場合


(1)の要件を満たさずに使われる場合が多いよね。

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