自分に溢れ出る才能がある事に気づいたのは、小学校に入る前だ。
主に兄弟としか、遊んでいなかったため、自分がどれほどの才能を秘めていたのかそれまではよく理解していなかった。
しかし、小学校というそれまでと違う環境に放り込まれる事で、自分の理解力のスピードの差、他人と自分がどれだけ違う人種なのかというのをはっきりと理解するようになった。
もちろん、全員が全員馬鹿だったとは言わないがそれでも、そのほとんどは自分よりも「出来ない」奴が多かった。
そういう嫌な子どもだった。
子どもというのは残酷だから、自分より能力が高い奴を優先的に叩き潰そうとする。
言葉の暴力、身体的な暴力、精神的な暴力。自分は身体が小さかった為に、そう言った理不尽な暴力を多く受けた。
だが、同時に、とても聡い子どもであり、尚且つ狡猾で、精神的にタフであった。
生まれ持ってそう言った能力を与えられていた。まさに、ギフテッドだった。
故に、いじめられても凹まず、自分の能力を全く隠さず、常に全開で才能を振りまいていた。
狭い小学校では、常に一番になれた。
中学生の時も同じだった。同級生の数が増えたがそれでも一番をキープするのは片手間でできる事だった。
高校に上がり、やはりその中での一番を保ち続けた。
その頃には暴力による影響はほぼ皆無になっていて、むしろ多くの友人から慕われる程度には成長していた。
まあ、実際の所彼らは僕の才能を利用したいだけだというのは分かってたけれど、それに気づいていない振りをしてやり過ごしてた。
今思えば、幼稚な考えだと失笑してしまうのだが、当時の自分としては最高のやり方だと信じていた。
そいつ(以降、Aとする)は、思考の深さ、広さ、速度、濃度で全て自分を上回っていた。
何をさせても、Aは予想の全て上を軽々と超えていた。
それまで自分には才能があると自惚れていたが、夢から醒めた、とても残酷な方法で。
それから、色々出来たであろう可能性を一つ一つ捨てていった。
自分も、それなりにそつなくこなしていたが、Aに比べたら全て雑であるのは明白だった。
一応、負けっぱなしではない。
Aは自分よりも酒に弱いという弱点があるが、それは単なる体質の話だし、能力的な物でも何でもないのでそれを誇ったとしても空しいだけだ。
博士課程を修了した後、Aが何をしているか知らないが、きっとその才能を存分に何処かで発揮していると自分は思う。
自分の才能の限界が見えてしまい、多くの可能性を捨ててきて、十年程になる。
いい年をしたオッサンがこういうくだらない文章を書くのは恥ずかしいとは思う。
だが、それでもどこかに書きたかったので、増田に書くことにした。
だが、それでも、毎日がそれなりに充実しているし、楽しみはある。
彼は、自分のように、他人との差異に不必要に自惚れないかどうか、親として少し不安ではある。
親の目から見ても、まあ、息子は利発な方だが(親馬鹿丸出しでスマン)、それでもAには匹敵しない。