米寿を迎えた祖父母を見舞った帰り道、スローガンをたたえた幟が個人雑貨店の出入り口に立てかけられていて、思わず呻いてしまった。
つくし野、という高度経済成長期に作られたニュータウンならどこにでも見かける名前に合わせるかのように、
確かにまたつくし野に戻ろうとしているのが肌に感じられたから。
近くに出来たマンション群の甲斐あってリフレッシュに成功した駅前と変わって、
かつての田畑を宅地に造成した住宅街はそこに住む住人とともに歳を静かに重ねていくように見えた。
もっともその風景の半分は家庭菜園という趣味が景色の一端を担っていて、
静か過ぎる平坦な休農地の隣で騒がしくしていた。
休日の今日は色々な人が出入りしていたけど、それに合わせるかのように田畑もいろいろなモノが植えられている。
年の瀬にしか来ない弁財天でお参り。楼門を支える白く塗ったコンクリを品がないと思うのはいつものこと。
裏手に回って祖父母の名前を確認して安心を覚えるのもいつものこと。
橋に来た。よく伸びる冬の日差しが川面に落とした自分の影を辿ると、
ふと子供の背丈しさない欄干を乗り越えたい誘惑に駆られる。思わずよろけた側を、ごめんなさいと風に乗った自転車が通り過ぎていった。
長い。長すぎる。早く行きたい。ちょうど側を追い抜いていったランナーについていって十秒で息が切れた。
そしてたどり着くは辺境、もといちょっと田舎目な二郎店……時間が悪いのか開いてない。
2キロ先のスタバで時間を潰して戻ると、日も暮れて良い時間になっていたがやはり開いていなかった。
悪い予感がしてスマホで検索すると二郎botにお休みするの店長の声。結局二軒隣の吉野家で散財した。
駅までの帰り道、住宅街にありつつ、いい感じのスイーツのお店を見つけて入る。
嬉しいことがあるたびによくクッキーとケーキを持ち帰ったことをつかの間思い出した。
後々、原宿で偶然入った同じ名前のお店が姉妹店であることを知って、
そっちにある方が失礼ながら違和感が絶えなかったのを思い出す。
残念ながら原宿店は閉じてしまったけど成瀬の方は無事妹と同い歳を迎えたはず。
このお店はどうだろう。
軽く10キロ以上歩いた後のくたびれた気持ちをコートで軽くガードして、
カウンター横のコーナーを物色しながら、半目でチョコレートコーナーを視界からガードする。
二郎の口直しにまた買いに来よう。
GoogleMapは人を知らない。
初めての道が幹線道路を外れてついでに街灯も外れてるのだけど、どうなの。
夜道モードがあれば、良いのにと思う。