儲かると思ったら、ワッと群がってイナゴのように食い散らかして、終わり。
これは本来逆で、「ある人気あるコンテンツから短期間に最大限の利益を引き出す」ことが任天堂は苦手なんだよ。
だから結果論として遠赤外線的な超長期での熟成商法みたいなものをコンテンツにおこなっちゃってる。けど、それはそういう経営方針だというよりは、「売り逃げる」という戦略が不得意(とれない)ことが原因なんだ。
そもそも、KADOKAWAは出版系で、そのコンテンツの発生元は出版畑(小説やコミック)だ。任天堂はゲームだ。
このふたつではひとつのコンテンツにかける開発期間も費用も全く違う。経常利益を比べても「どちらのほうが下手」とははっきり言えないよ。
「そんなことないよ、角川のほうが爆死多いし死屍累々じゃないか」っていう人もいると思う。たしかにWebにいるとそう見えるのは確かだ。
でも、たとえば、いまKADOKAWAから年間どれだけのタイトルのコンテンツが出ているか? コミックだけでも数千の規模だよ。それはもちろん粗製乱造にも見えるし、ばくち商売にも見えるかもしれないけれど、企画者(作家でもマンガ家でも)から見れば自分の企画を世に出せるチャンスではある。打席が多いという、それはそれでひとつのありがたみだ。
何が言いたいかというと、KADOKAWAと任天堂に見られるコンテンツ戦略の違いってのは、マクロでみると相互補完的であり、優劣があるという話ではないということ。
もちろん、ファン視点に立って「俺の大好きなコンテンツAをイナゴのように食い散らかして破滅させやがってクソKADOKAWAド許せぬ!」という気持ちはわからんじゃないけど、そもそもの話そのコンテンツはKADOKAWAの散弾銃的戦略がなかったら、生まれなかった可能性すらある。そこを考慮に入れないってのはちとフェアじゃないかもしれないよ、という話でした。