現代のストレスを抱える人々に勧めるカジュアル瞑想の時間です(ここ笑うところです)。
現代人は様々な情報を五感や論理野などで処理しなければならず、論理野や脳に非常に多くの負担を抱えています。
これらの負担を解消する為にもっとも適しているのが、質の良い適切な長さの睡眠なのですが、中々そういった睡眠を得ることは難しいのが実情です。というわけで、この質の良い睡眠の代替物としての、「カジュアル瞑想」を勧めていく次第です。
人間は情報処理の為に普段から脳を酷使しているので、その処理を一時的にストップ、あるいはスローダウンさせ、そして休憩を行わせるというのが、この「カジュアル瞑想」の主旨でございます。
して、そのような処理のストップ・スローダウン・休憩はいかなる方法で、いかなる瞑想で達成されるのかと言えば、大したことをする必要はありません。
要するに、目を閉じ、呼吸を深くし、できるだけ言語による思考をしないようにする、という、この三つです。この三つを守れば、自ずと脳の休憩は達成されるでしょう。
同時に、そのような瞑想の際に、できるだけストレスが掛からないようにする、というのも重要です。
瞑想というのは、何かを悟る手段のものとして使われる場合があります。
これを、カジュアル瞑想に対して、「フォーマル瞑想」と名づけましょう。
しかし、そのような瞑想は真剣味を帯びるあまり、人間にストレスを掛けてしまいます。「どうしても言葉が浮かんでくる! これじゃダメだ!」とか、「もっと集中しなきゃダメだ、こんなんじゃ真理に辿り着けない」とか、そんな具合に己を追い込む瞑想になりがちです。
しかし今回紹介する「カジュアル瞑想」は、そういったストレスとは切り離された形のものです。
要するに、上記の三つ、目を閉じ、呼吸を深くし、できるだけ言語による思考をしないようにする、を行っていて、消そうとするところの言葉が浮かんでくるようでも、別に気にしなくていいし、更にそのような瞑想を続けていてストレスが掛かるようであれば、すぐに瞑想を停止して構わない、というのが、この瞑想の主旨なのです。
言葉が流れていてもいいのです。どんな言葉が浮かんでくるか、観察する(*)くらいの余裕を持ちましょう。
ストレスを感じるようなら、パッと目を開けてしまいましょう。別に、自分を追い込む必要はないのです。
そうすることによって、脳は然るべき休息を得ることができます。ストイックな瞑想とは違い、あくまで今回の主旨は、「情報処理を一時的に停止し、脳を休憩させ、そして脳の能率(……)を上げていく」ということなのです。
この瞑想は、ストレスが掛からない限りで、心ゆくまで続けてもらって構わないのですが、ただ、個人的には、普通、そこまでストイックにではなく目を閉じ、呼吸を深くし、思考を停止させようとすると、長くて三分後くらいには、目を開けたくなる欲求を感じることになるんじゃないかと思います。短くて十五秒とか、三十秒とかでも、そういう欲求を感じるタイミングがやってくると思います。
あるいは、寧ろそういう「欲求」を意識するまでもなく、自然と目が開いてしまう時があると思います。
ぱっと目を開けてしまいましょう。なんたってカジュアルなんですから。
というわけで、脳を然るべき形で休憩させることの効果は、欧米の研究でも盛んに取り上げられており、多くのメリットを持つと言われています。
貴方もちょっとした安らぎの為に、カジュアル瞑想をしてみては?
(*)更に余裕があれば、『「言葉を観察している自分」を客観的に、一歩引いた視点から観察する』、というのもいいかもしれません。「俺は今言葉を観察してるんだなー」と、ぼんやりと考えてみて下さい。