2015-01-02

いじめをしたいなら最低2億円用意しろ

今日はこういう場を使って、いいたいことをいう。

世の中にはいじめというものがある。

文部科学省定義では「当該児童生徒が、一定人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」と言われている。

これに対して、いじめという言葉が悪い。恐喝・脅し・傷害・暴行とすべての事象を言い変えろという人達もいる。

当然実社会からはいじめは無くした方がいいわけで、俺もいじめられてきたからその気持ちは凄くわかる。

でも、その一方でいじめがまかり通っている社会がある。

テレビ世界」だ。

俺も年末テレビでドッキリ番組を見ていた。

あれだって第三者よくよく考えれば他人を騙して笑い物にしているという立派ないじめじゃないか。

それに対して露骨不快感を示し、バラエティ番組全般が悪いという俺から言わせれば的外れも甚だしい意見をいう輩だっている。

そんなテレビ世界のことを「なんとかバー」とかいう新しいアイスかなとかいう、楽して金が欲しい人達安易に真似してトラブルになることだって少なくない。それをみたどっかのP●Aとかい団体人達がそれを助長するからバラエティ番組おかしい!とまた言い続ける不毛ループが今の世の中では繰り広げられている。

的外れ批判をしている人達が忘れている(知ろうともしない?)ことをまず言おう。

テレビ世界」において「いじめをされること」は「おいしいこと」なのだ

芸能人という人種はとにかく「知名度」を上げることが必須条件。

テレビバラエティ番組に出て、名前が売れればそれだけで儲かるのだ。

その番組のギャラ、そして、上がった知名度により飛び込んできた仕事によるギャラ。

そして、その仕事成功して新たな仕事が増えていき・・・

実際にこんなに上手くいくわけではないが、そのためにはドッキリといういじめを受けることだっていいと思えるだろう。

いじめによる精神的苦痛を金銭に変換することで、苦痛を感じないからいじめ定義からは外れるのだ。

からテレビ世界」のドッキリといういじめは許容される。

ただ、それを実生活に当てはめてみよう。

「実生活でドッキリをしかけられる」として、それをやることによっていじめを受ける側にメリット果たしてあるのか。

少なくとも金銭的なメリットは限りなく0円。酷ければマイナスだってなる。

それを分からない連中が「テレビでこれやってたんだよね。面白いからやってみようぜ。」と、安易なドッキリという名のいじめに走り、それをみた、これまたそういうことが分からない連中が「じゃあ、大元の原因を作ったバラエティが悪い。」という。

馬鹿かと。

からテレビ世界特有のこと」には「良い子は真似しないでね。」ってどんな番組だって書いてあっただろうが、そんな抽象的な表現も分からない馬鹿が増えたから、「※安全花火を使用しております。」とか「※安全性には充分気をつけて撮影を行っております。」とかいうわけのわからないテロップテレビに増えていくんだろうが。

ナンセンス過ぎて反吐が出る。

と、話が脱線した。

別にテレビ論を語るつもりはないんだ。

今日はいじめについて

じゃあ、実社会でどうしても「ドッキリという名のいじめをしたい人」はどうすればいいのか。

答えは簡単。

「最低2億円用意しろ。」ということである

2億と言う数字を聞いてピンとくる人はいるだろうか。大体一般的サラリーマンと呼ばれる人達が真面目に働いて一生のうちに得られる収入生涯賃金」が大体2億円だったと思う。

まり、言いかえれば

いじめをしたいならいじめをした人間の一生を保障出来る金額が用意出来ているんだよね?」

ということだ。

そのいじめが原因になって、精神疾患になる。

そのいじめが原因になって、身体障害者になる。

その可能性は0ではない。そこまでおおごとにならなくても「人格形成になんらか影響するわけだ。」

精神的苦痛だよね。身体的苦痛だよね。はいいじめ定義が成立するわけだ。

それを金に変換しようとするなら「ある人間が、その先の人生で得られるはずだったお金」を何らかの分かりやすい指標を使って表すしかないよね。

それが生涯賃金の平均。

もちろん、疾患や障害による病院代、その他もろもろの費用は別だ。

から最低2億円。

それが用意出来るならどうぞ好きにいじめをやってください。出来るものならな。


自分でもガバガバ理論だってわかってはいるが、突然これを思いついたから吐き出したくて書いてみた。

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