純文学って言ってもいろいろあって、ここでは娯楽性がほとんどない、主題を訴えることが主眼にある小説を指す。
んで、そういうやつは作者の訴えたい主題をつかみ取るのがそれを読む意味だと思うんですけど、
主題をつかみ取れない難解な小説あるじゃないですか。まぁ直接問題にしたいのは三島由紀夫の『金閣寺』なんですけど。
これ俺最近2回読んだんですけど、何言いたいのか全然分からない。南泉斬猫って何すか、みたいな。
しかも長い。一読するのに1週間かかる。
そうなると、2週間かけて得たもの何もなしってことになって、徒労感がすごい。
『金閣寺』について論じた論文読めよってことになるかもしれんのだが、そうなると『金閣寺』って論文とセットではじめて読む意味が生まれるんすか?って疑問が生じる。てか大学図書館行くのだりぃし。文学部出身じゃないから用語も多分分からない。
そう考えてくると、『山月記』とか『羅生門』とかの、短くて主題が(一面的にでも)つかみやすい小説を多く読んだほうがよくないすか?って思うのです。
(これつきつめると主題のはっきりした映画観た方がよくね?とも思うのです。)
これもまぁ極端な立場かと思うので、この辺はてなの諸賢はどう考えておられるのか。
それを聞きたくこんなエントリを書いた次第。
読書なんてただの娯楽なんだから、増田が面白くねー、読む意味分からんと思うんだったら読まなければいいじゃない。