結婚するまでずっと実家にいたため、家事は専業主婦の母親に任せきりだった。
まぁ子供はいない(これからもずっといないだろう)からなんとかなっているのかもしれないが。
もちろん実家のほうが食事や掃除などクオリティは高かったと思うが、まぁ、大人二人暮らす程度にはそんなに困らないレベルの家事はこなせている。
(父親は風呂上がりの下着が風呂から上がるまでに脱衣所に用意されてないと母親を怒鳴るくらいの人間だった。なぜなら家事を任せきりにしているのでどこに下着があるか知らないからだ。)
旦那が一人で夕飯を作ったりするなどびっくりするほどありがたい話だった。
夜に少し買い物をしにコンビニに出かけることもできるし、
(実家では一度帰宅した後にコンビニに行こうとすると夜遅いのだからと止められる。なおコンビニまでは徒歩三十秒である。)
飲み会で遅くなって最寄り駅からタクシーで帰宅しても許されるし、
(実家では公共交通機関で帰れる時間でないとゆるされない、大学の飲み会は夜十時までに離脱しないと死亡だった)
(実家では婚前旅行など許されなかったので架空の友人が毎回登場していた。バレたら大変なので結婚式に招待した友人の何人かに旅行の偽証証人を頼んでおいた)
確かに実家にいれば家事は母親がかなりのクオリティでこなしてくれるから楽だ。ついでに父親もそこそこ資産持ちなのでお金も今よりもっと自由に使える。
けれども行動の自由は本当になかったと結婚した今気付かされる。
一人暮らしや、結婚したら親の有り難みがよくわかると云うけれど、
自分(と旦那)でこなせる家事レベルと母親がハイレベルでこなす家事レベルの差額を考えると、
その価値は実家を出てから得られた自由を失うほどの価値はないと断言できる。
もちろん育ててもらった感謝はあるのだが、だからといって有り難みを感じるか?と言われると、
あの程度の家事のランクアップのためになんて不自由な生活をしていたんだろう?と思わざるをえない。
離れて感じるのは「ああ、親というのは単なる人間で、そこまで神聖的に尊敬しなきゃいけない存在じゃないんだな 」ということだ。
その印象を決定づけたのが、父親の父親(つまりは私にとっては祖父母である)の遺産相続にまつわる兄弟の争い(私にとっては父親と叔父の戦い)である。
以前から父親はどうも威圧的で、権利をやたら主張し、人を支配下に置くことを好む人間だなとは感じていたが、
遺産自体は大した額ではないのだが、人間ただで貰えると思えば少しでも多く欲しくなるのだろう。
やはり揉めることになる。
父親の主張はこうだ。
「自分は長男であり、長男として長々重責を負わされてきた。だから遺産は多くもらう権利がある。半分以下になるなど許せない。」
父親の弟の主張はこうだ。
「自分は次男ではあるが、親の介護にはかなり力を使った。自分の妻も自分以上に実家に帰り、面倒を見てくれた。息子だっている。そっちは女一人じゃないか。それで何が長男がーだ。少なくとも介護で苦労したのだから半分以下になるのは許せない。多くもらう権利がある。」
父親には一人娘(私のことだ)しかいないし、
介護に関しても父親と母親はたまに見舞いに行く程度でほとんど弟夫婦が面倒を見ていた。
金銭的な負担は祖父母がきちんと自分で用意していたのでほとんどない。
弟夫婦が近くに住んでいるわけではなくどちらも祖父母宅からは飛行機と電車を使って二時間はかかる遠距離である。(距離はほとんど変わらない)
こういう事実がある。
だからどう考えても弟は優遇されるべきなのに全く父親は譲らない。
だがボロボロにしたのは父親が悪い。娘の目から見てもそう思う。
そう思うと父親のことがどんどん嫌いになっていく。
こんな人を尊敬はできない。育ててもらったことと尊敬することは別。
そんな父親が最近体を壊し始めたと聞く。
全く面倒を見に行こうという気にならないのは自然な感情だろう。
母親には様子を見に来て欲しいと言われたが、とりあえず死んだら連絡してねと返しておいた。
母親に恨みはないから申し訳ないけど、父親に会いたくないのだ。