2014-10-22

これは現代特有の病なのか

今の人々は、コミュニケーションにおいて他人使い捨て感覚

或いは即席的な価値程度にしか捉えていないように思う。

ネットの普及によって遠く離れた場所だろうと

どんな時間でも、なんとなく隣に人がいるような安堵感を

覚えることが多いがそれは偽りである

望めば何時でも他人デリバリー出来る感覚で、

俺はフォロワー○万だの、私はこんなにも人気者で愛されてるのよ、と

人すらもアクセサリー感覚の歪んだ価値観は正直怖い。

その反面、個人との付き合いは淡白を通り越して

病的なほどの臆病さを醸し出している。男も女も関係なくね。

基本的に、絶対に傷つかない安全場所から見下ろして

決して土俵には上がろうとしない。身の回りで少しでも自尊心が傷つくようなことがあれば

直ぐに他人を切り捨てて、別にあなたでなくても、私が望めば直ぐ別の他人がそこにいるからと

見つけては乗り捨て、見つけては乗り捨ての繰り返し。

これだけたくさんいる人口なんだから、いつか私の事を理解してくれる人間は必ず何処かにいるという

おめでたい願望を奥底に掲げているような素振りだが、

浅い付き合いの連続ではそんな人間なんて現れない。

そのくせ承認欲求自己愛だけは異常なほどに肥大化していて、

当事者に直接告げれば理解は深まるというのに

日記つぶやきという決して非難されない安全場所から

あの人にこんなこと言われて最悪だとか

人を蔑み、罵り、自己の安定化に努める。

周りも周りで、かわいそうだね。あなたは悪くないよと。虚しい肯定を繰り返して

お互いが傷の舐め合いを繰り返して、悦に浸っている姿がとても気持ち悪い。

ネットがなかった時代自分は生まれていないから、その時代の対人関係については

憶測しか言えないが、それでも現代のこの気持ち悪さは無いように思う。

なんというか虚数を相手にしているようでとても気持ちが悪い。

実体のないデータとでもいうべきか。

同じことばかりを繰り返して決して学習しない感じがね。

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