2014-06-29

やじ問題の背景にあること

やじ問題でふと思ったこと。

やじには一般的に言って発した人の本音が含まれていることが多いと仮定してみる。

そうすると「自分が早く結婚すればいい」との鈴木章浩議員の発言は、やじ・セクハラと受け取られると同時に、晩婚化・晩産化傾向にある環境でとくに個々が孤立する東京において都の支援環境はどうしていくのかと都に対して質問した塩村あやか議員へ、横から「女は若いうちから家庭に収まって子供をさっさとつくりゃいいんだ」という本音回答を出していたとも受け取れる。

まり、この質問と(セクハラ)野次のやりとりの背景にある差異は、「なぜ晩婚化・晩産化傾向にあるのか。それは個々人の意思問題なのか、長時間労働をよぎなくされる労働環境にあるのか」といった現実認識差異ではないだろうか。たぶん(勝手想像だけど)鈴木議員は前者の見解で、塩村議員は後者見解ではないか。

安倍政権においては、女性労働力をより社会へ出してもらうと同時に出生率を上げていこうとしている。そのための育児支援社会全体で構築しようとしている。

そういった後押しがある中で、塩村議員が本気でこの問題を解決していきたいとするなら、せっかくセクハラやじとして世間耳目を集めることができたわけだから、今度は、鈴木議員のやじが「おやじもの本音」だろうと受け取り、その頭の中にある前提条件がまず現実認識として間違っていると論じていくことこそが、戦略としてとるべき方向ではないだろうか。

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