4年前、18歳の時に大阪から上京した時は夢に満ち溢れていた。
地元の友達には、「東京の109の広告、乗っ取ったるで。まるまるっと1年な。」っと豪語して上京した。
JJの表紙を飾るつもりだった。CanCamの表紙を飾るつもりだった。
ゆくゆくはドラマにも出て、香里奈、北川景子を超えるつもりでいた。
私は本当にそのつもりでいた。
本当に本当に本気(マジ)だった。
もちろん、それを叶えるためには血の滲むような努力が必要なのもわかっていた。
うまくいかない日々に、心がブレてしまうだろう事にも勝たなければいけない事も分かってはいた。
1日 1800kcalを超えないように食事制限した。ずっと、温野菜中心の生活だった。
毎日5kmジョギングした。腹筋100回した。体幹トレーンングも行った。
遊んでいても、19:00には途中で帰宅するようにした。
4年間、ずっとずーーーーとこんなんだった。
でも、、、、うまくいかなかった。
仕事が決まらなかった。所属事務所が雑誌に載せてくれなかった。
載せてくれても、読モ扱いの小さな写真だった。(あたいは読モじゃない。職業 = モデルだぃ!!(激オコ))
思い切ってフリーランスになってみるものの、状況は変わらなかった。
東京に来て、何もかもうまく行かなかった。。。
本当の本当にうまくいかなかった。
もう限界だった。。
もう叶わないんじゃないかって、もう自分には向いてなかったんじゃないかって。
終わりの見えない暗いトンネルを、手探りで進み続ける体力はもう残ってなかった。
わたしの中のあたしが、毎日、”大阪戻りたい”って泣き叫んでいた。
つらかった。自分が若くなくなっていくのも辛かった。おばさんになっていくのがつらかった。
強くなりたかった。でも、なれなかった。
。。。。
2014/05/05 17:00 品川発 新大阪行 のぞみ299号
4年間帰らなかった大阪に帰るつもりだった。
”売れるまで帰らへん!!”ってママに言って出てきたから、ウソつき敗北者の帰還だ。
”明日、夜には帰るね。”
”うん、わかった。夜ごはん中華ちまきでいいでしょ。あと、シーチキンキャベツも用意しとくね。”
ママはそれ以外の言葉は言わず、”待ってるねー”だけで、電話を切った。
私は安心からか涙が止まらなかった。永遠に泣き続けていられるような気がした。
ずっと1人で戦い続けてきたから。。私を守ってくれる人を実感できた事がうれしかった。
いままで飲めなかったお酒をいっぱい飲んだ。山盛りフライドポテトも食べた。
モッツアレラチーズたっぷりピザを食べた。1300円もするアボカドハンバーガーを食べた。
ティラミスも食べた。
行った事のないおしゃれなレストランやバーにたくさん連れていってもらい、
気づいたら、翌朝5:00になっていた。
2014/05/05 05:19am 震度 5弱の地震が発生
あたしはその時、早朝までやっているレストランのトイレにいた。
とても大きい揺れだった。東北大震災の時と結構いい勝負だった。
”そろそろ、帰ろうっか”って言ってきた。
あれ、みんな気付かなかったのかな?
でもすぐに、こう思った。
これは、私だけに起きた地震なんだと。。
あたしの中の何かを壊す、地震なんだと。。
これは何かを覚悟した者にだけに訪れる、make changeしてくれる地震なんだと。
そう思いたかった。
生中継をやっていた。
”表参道の交差点、信号は普通に動いています。。車の流れも普通にあります。”
私はすぐに地震の事だと気づいた。
でも、これはアタシだけの地震なんだ。ア・タ・シが覚悟を決めたんだ。
”地震なんてないよ。”
※これはフィクションです。
うーん。ナシかな。
表参道に朝5:00までやってる居酒屋とかバーなんてないよ。 あるのはクラブ。 爆音の中踊ってればそりゃー気づかんよなってのが真実なんだけど、 意外とみんなわかってないみたいだ...
クラブが朝5:00まで営業してたら違法営業だね、いま話題の風営法で。 クラブの摘発まで進展したらおもしろいけどな...
読モの下りに力が入っていた。そこらへんは実話なのかな?どっからかコピペしたにしては、違和感がある