2014-05-14

地震なんていないさ。地震なんてウソさ。

4年前、18歳の時に大阪から上京した時は夢に満ち溢れていた。

地元友達には、「東京109広告、乗っ取ったるで。まるまるっと1年な。」っと豪語して上京した。

JJの表紙を飾るつもりだった。CanCamの表紙を飾るつもりだった。

ゆくゆくはドラマにも出て、香里奈北川景子を超えるつもりでいた。

私は本当にそのつもりでいた。

本当に本当に本気(マジ)だった。

もちろん、それを叶えるためには血の滲むような努力必要なのもわかっていた。

屈辱をいっぱい受けるだろう事も覚悟していた。

うまくいかない日々に、心がブレてしまうだろう事にも勝たなければいけない事も分かってはいた。

全部全部わかった上で、毎日努力した。

1日 1800kcalを超えないように食事制限した。ずっと、温野菜中心の生活だった。

毎日5kmジョギングした。腹筋100回した。体幹トレーンングも行った。

睡眠も必ず8時間とれるように友達の誘いもほとんど断った。

遊んでいても、19:00には途中で帰宅するようにした。

毎日契約した事務所から仕事の依頼がないか、

携帯電話を見つめて一日中過ごした。

4年間、ずっとずーーーーとこんなんだった。

でも、、、、うまくいかなかった。

仕事が決まらなかった。所属事務所雑誌に載せてくれなかった。

載せてくれても、読モ扱いの小さな写真だった。(あたいは読モじゃない。職業 = モデルだぃ!!(激オコ))

思い切ってフリーランスになってみるものの、状況は変わらなかった。

東京に来て、何もかもうまく行かなかった。。。

本当の本当にうまくいかなかった。

もう限界だった。。

もう叶わないんじゃないかって、もう自分には向いてなかったんじゃないかって。

終わりの見えない暗いトンネルを、手探りで進み続ける体力はもう残ってなかった。

わたしの中のあたしが、毎日、”大阪戻りたい”って泣き叫んでいた。

つらかった。自分が若くなくなっていくのも辛かった。おばさんになっていくのがつらかった。

強くなりたかった。でも、なれなかった。

。。。。

2014/05/05 17:00 品川発 新大阪行 のぞみ299号

4年間帰らなかった大阪に帰るつもりだった。

”売れるまで帰らへん!!”ってママに言って出てきたから、ウソつき敗北者の帰還だ。

出発の前夜、ママ電話した。

明日、夜には帰るね。”

”うん、わかった。夜ごはん中華ちまきでいいでしょ。あと、シーチキンキャベツも用意しとくね。”

ママはそれ以外の言葉は言わず、”待ってるねー”だけで、電話を切った。

私は安心からか涙が止まらなかった。永遠に泣き続けていられるような気がした。

ずっと1人で戦い続けてきたから。。私を守ってくれる人を実感できた事がうれしかった。

きっと、何もかもママにはお見通しなのだろう。

その夜、東京で知り合った友達に連絡して、

いままで飲めなかったお酒をいっぱい飲んだ。山盛りフライドポテトも食べた。

モッツアレラチーズたっぷりピザを食べた。1300円もするアボカドハンバーガーを食べた。

ティラミスも食べた。

行った事のないおしゃれなレストランやバーにたくさん連れていってもらい、

気づいたら、翌朝5:00になっていた。

2014/05/05 05:19am 震度 5弱の地震が発生

あたしはその時、早朝までやっているレストラントイレにいた。

とても大きい揺れだった。東北震災の時と結構いい勝負だった。

私は確かに揺れを実感した。これは地震だ地震はあった。

トイレを出ると、みんなは地震のことはふれないで

”そろそろ、帰ろうっか”って言ってきた。

あれ、みんな気付かなかったのかな?

でもすぐに、こう思った。

これは、私だけに起きた地震なんだと。。

あたしの中の何かを壊す、地震なんだと。。

これは何かを覚悟した者にだけに訪れる、make changeしてくれる地震なんだと。

そう思いたかった。

表参道駅までの帰り道、どっかのテレビ局クルー

生中継をやっていた。

表参道交差点信号普通に動いています。。車の流れも普通にあります。”

私はすぐに地震の事だと気づいた。

でも、これはアタシだけの地震なんだ。ア・タ・シが覚悟を決めたんだ。

そう頭で強く思った瞬間。私は無意識言葉を発していた。

地震なんてないよ。”

NHKを視聴されたみなさま、申し訳ございませんでした。

※これはフィクションです。

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