端的に言うと、日本の女性は家庭内で奴隷労働するべきだと、自分達で思い込んでおり、
米国の女性はふざけんな、私達は自分の力で生きていくのだ、と戦う姿勢を見せている様子がよく分かる。
それは、挿入歌である"Let it go"の原文と和訳の違いに如実に現れている。
まず、私は和訳版を先に見て、言い知れぬ違和感を感じた。
なんでコイツは、そんな
女々しく
ひ弱で
自信満々で挑戦的な表情
で歌ってんだ?と。
思春期の子供が自分がここにいていい理由を見つけて、おめでとうと言われてるみたいな感じ。
ははん、さては翻訳の段階で何かあったなと思って原文をチェックすると、案の定。
原文の方は、徹底的に環境に虐げられ、自分を殺して公務についていたが、
もうそんなの知るか!私は私なんだ!それを認めさせてやる!立ちふさがる敵は叩き潰してやる!
特に、
The cold never bothered me anyway
風よ吹け 少しも寒くないわ
って、翻訳ふんわりしすぎだろ。
ここは、
争いよ吹き荒れろ 望むところだ蹴散らしてやる
ぐらいの感覚で言っている。
その証拠に、この言葉を言うのと同時にまとっていたマント(過去へのしがらみ)を、
まるでゴミでも捨てるかのような目で見て脱ぎ捨てている。
他にも、
Here I stand and here I'll stay
私がここに居るって言ったら 誰にも動かせないのよ
が翻訳されてなかったりする。
全体の印象として、原文が"自分の環境"という"敵"に対して、大胆不敵にも宣戦布告しているという歌なのに、
和文は問題を内包しているのは自分自身で、自分の気の持ちようを変えるだけで周囲はそれを暖かく迎え入れてくれるかのような印象を抱かせる。
確かに、日本の女性が、自分の権利のために敵と戦う、などと力強く歌いあげたら誰も共感しないであろう。
そして女性は男性に与えられる範囲の自由と権利で満足して、それ以上求めることはない。
これが今現在、日本で普通に受け入れられている文化であり伝統である。
その文化的背景にあわせて、原文の好戦的な歌詞が書き換えられたのだろうことは、容易に想像がつく。
一方米国では女性は自分で戦って、自分の立場を守るために誰かを殺す覚悟を持って、自由を勝ち取っている。
返り血に手を真っ赤にしながら、それでも自分自身の独立のために戦うのをよしとするのだ。
アメリカ人の女は、世界で最悪の妻になるというジョークがあるのも頷ける。
このように、ディズニー映画という子供達へのメッセージ性の強いメディアにおいて、
どのようなメッセージが刷り込まれていくのか、日米に違いがあるのは非常に興味深いことである。
個人的にはアメリカに生まれなくてよかったなぁと、しみじみ思うものである。
せやせや
分かってない、分かってないよ。 ちょっと生意気な女を服従させるのが楽しいのに。
違うな。アメリカの女性も日本の女性も、価値観や考え方に大した違いは無いはず。 何が言いたいかというと、アメリカの男女平等は日本の男女平等よりも30年進んでいるということ...
えり子 左行こう
この歌の翻訳は世界何十カ国語と公式に作られていたけど、他の国の言葉でのニュアンスの違いも知りたいな 特にお隣の中国や韓国なんか
わかる。 ケイティ・ペリーのロアーが流行った時、ついに日本もこれを受け入れたかと思ったけど全然そんなことはなくて、感受性が死んでるやつらがなんとなくPVが可愛いとか思って...
ガールズパワーが好きな人って、「スーパーマンの女性版(スーパーヒーローの権利を男性から勝ち取る)」や「スターウォーズの主人公役を男性から勝ち取る(007も?)」ような方向...
そりゃあの人達は性の撤廃が最終目標なんだから (でもそんな事出来るわけがないわけで) 男を貶めて女が強く見えればなんでもいいだろうさ
面白ければいい、が大前提で。 好みとしては、男のいる場所を奪ったやつより、ガチンコで男とやりあうとこが見たいね。ワンダーウーマンはとてもよかった。バットマンとスーパーマ...