2014-04-08

友人が自殺した

といっても、昔の話だ

鬱病の友人だった

また、彼は大学の先輩でもあった。

大学卒業に六年かかり

大学院に進学したが休学したりしていた

私にskypeで話しかけてくれる数少ない友人の一人だった

ある日、skypeメッセージが来た「そろそろ限界だ」

私自身も鬱病なので、死と見つめ合うつらさを知っているのでわかったと返事をした

サーバの後を任せたい」といわれた。一つ返事で了解した

ここで心残りなのは、彼の自殺を止めなかったことだ。

しかし、そこで止めたとして、彼は自殺を決行しただろうと思う

虫の知らせというのだろうか。そういうのもあって、あえて止めなかった

いいわけだが、止めたとして彼はつらかっただろうと思う

サーバidとpassを教えてもらって、使い方もある程度理解

そのサーバ上で運営されているサイト共同管理者とskype挨拶した

周りに迷惑をかけたくないと、身辺整理を始めた。

私もそれを手伝った。

たくさんあったものが捨てたり、あるいは誰かにあげたりしてどんどんなくなっていく

私もいろいろ物をもらった

片付いたら、物であふれていた彼の部屋が、布団と小さなテーブルにノートPCがあるだけになった

彼はカラオケ締めだといって、カラオケに行った。

彼は音痴だったので、カラオケは好きではなかったかもしれないし、私のいろいろな事情で誘わなかっただけかもしれない

彼とカラオケをしたのはたぶん二回目くらいだ。このカラオケ最後

私は口べただったので、彼のことは多くは知らなかったけれども、

自殺を決行するという話をしてくれた数少ない一人ではあるから、信用されていたのかもしれない

もはや、しるよしもないのだけれども

話は変わるが、彼は大学院学習研究していた。

あと、短い期間だがカウンセリング業もやっていた。

わりと決行する直前まで少ないものクライアントがいた

最後最後まで人を助けたかったのだと思う

自分は助けられなかったのに

決行する前の日、思い残すことは何かときいたら

娘のことだけだという。彼は学生結婚し、子供がいた。

死に向かうと、執着しなくなるともいっていた。本音かどうかわからないが

決行の日。友人から連絡があった、警察から電話があったそうで、

その友人が最後携帯の発信先だったそうだ。彼は遂げた。

話して、初めて泣いた。自殺する準備中には泣かなかった。

彼が死んだ実感はなかった。今でもかすかにどこかで生きているのではないだろうかと考えることがある

心の中に生きていると、誰かが本で書いていたが、そういうものなのかもしれない。

後日、彼の母から連絡があり、彼のワードで書かれた私宛の遺書の一ページと

彼の母からの文章が綴られていた文章が一ページがFAXで送られてきた。

彼の遺書には感動するような言葉は書いてなかった。生きてるうちにだいたいのことは伝えたのかもしれない。

ほとんどは、Web関係のこうしたいという意思idとpassが書いてあった

彼の母からの文章は、彼が自殺であることは内密にということと、彼に関わってくれてありがとうというような

感謝言葉が綴られていた。

彼の終活として、権限委譲されたサーバサイトの一つで報告することを遺言として残していたので、

それを共同管理人とともに行った。

また、SNS上で彼の死を伝えるというつらい報告を行った

大学先生には自殺であることを告げた。彼と親しかった先生は悲しんでいた。

その他の人には、遺族の意思通り自殺であることを内密にしていたが、

風の噂で広まってしまったらしい。

彼はある意味トラブルメーカーであったので死人にむち打つようなことを言う人もいれば、

悲しみ、残念だった。という人もいた。

いろいろなところで終活としてのプランは彼の意思とは違う物になってしまったが、

それも、現実や様々な人の感情に合わせなければならないので仕方がないだろうと思う

ある意味では私は罪な人間だ。だが、そんなに強い罪悪感はない

死ぬ決断は彼がしたのだから。という個人的な考えだ。人に話したら強く批判されるだろうが

安楽死合法化されるとしたら、もしかたらこんな感覚なのではないだろうかと思う

これだけでは、贖罪にはならないだろうけれども、安楽死を推し進めたい人に対して、

死と向き合うこととはこういうことだと言うことを伝えたくて書いたところも一つある。

私は創作で人を助けるようなことをしたいが、彼のことがあるから及び足なところがある

私は自らが死ぬと分かっていても、人を救うために動き続けられるだろうか。彼のように

最近自分に問うている

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