2014-03-31

商業高校マイルドヤンキーの場だったと気づいた。




地元思考の度合いは多分重要


高校卒業して10年以上が経って気づいたことがあったので書いておきたい。

商業高校は真面目な部類のマイルドヤンキーが通う場所だったのだと。




私は高校生活に退屈していた記憶がある。

その場所が退屈だと感じると言うことは人間関係がうまく行っていないと同義だ。


いま思えば、そこに集まった人たちとは現代言葉でいえばクラスターが違っていた。

どういうクラスターか。

地元に残りたいかそれとも地元を出たいと強く願っているか、の差。


私の印象では、女性は9割くらいが若さ武器若いうちに結婚子どもを育てようとしている人。

もちろん卒業後も地元で過ごそうとしている。

から(?)、彼女達はたいてい、バイトをしている。年上と遊んでいる。彼氏は年上。年上との関係を自慢しあっている。

そして受験勉強をしなくて良いから高2~高3を極めて謳歌している。

男性の3割は地元就職or進学しようと思っている人。

そして5割は自営業の息子。

卒業後5年位してから気づいたことだけど商業高校男性実家自営業率は本当に半端なかった(女性のそうなのかもしれない)。



いや普通高校の調査結果を知らないからから事実かどうかはわからないが、あんなにも彼らがまったり高校生活を送っている理由はそういうところにあるのかぁと納得できた。

家業のためにちょっとした簿記の知識を得られればいいや、という姿勢で過ごす高校生活はとても楽しいものだろうと思う。




私は商業高校の中ではマジョリティには属せなかった。


私は一秒でも速く、地元からたかった。

いや地元というより実家にいたくなかった。

田舎の煩わしさから解放されたかった。





この「地元に残りたいか否か」というモチベーションの差は、何に興味関心をもって生活するかに極めて影響していると10年経って思った。

地元に残りたいと言うモチベーションで動いている人と、地元を出たいと思って動いている人の思考回路にはかなりの差があると思った。


不思議なことに高校比較的話しがあった人も高校卒業した今でも付き合いがある人も、基本的には地元から出た人だ。

地元家族も小中の友達も、まったく大事だと思わず、できれば一生会いたくないとさえ思っていた私にとって、

マイルドヤンキー世界は非常に居心地が悪かった。


もちろん、そういう思考回路の違いに関係なく仲良くなれるのが本当のコミュニケーション能力とも言えなくもないけれど、

少なくとも私のコミュニケーション能力の低さだけが人間関係構築の下手さにつながっていたわけじゃないのだと思ったら当時の自分を少しだけ許してあげたい気持ちになった。


10代のコミュ障男の子が違うレイヤーの人たちの中で居心地の良い人間関係を築くのは難しいことだったんだよ、と。





この文章を吐き出すにあたって、堀江貴文さんのゼロは極めて重要潤滑油になってくれた。

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