2014-01-31

社会生活に支障が出るから問題なんです。

正確に言えば、「社会生活」のほうの寛容度が狭いんです。

こだわりがある人を「まあ根はいい人だけどね」と、それはそれとして扱う大人の社会にはなっていません。

同質であることを徹底的に求めるので、話題が偏っていればそれだけで奇人変人扱いします。

多数派に対して「なんだ馬鹿どもめ」と見抜ければいいんですが、そうでないと自分を責めるのでつらくなります

そういうときに、双方に対して(これが重要)、こういう人もいていいんだ、というために病名がつけられることがあります

だるいから休みます」という病気もあるんだ、と思えるなら、つまり病名によって社会も寛容になり、本人も生きやすくなるなら、それは一つの解決です。

ところが、「社会」側の不寛容さは、病名をも叩く傾向にあるのでどうにもなりません。

感染症ハンセン病差別がこんなに長く続いた先進国日本だけです。アメリカでは戦前に解決していました。

視点認知のずれということが分からないと、「普通生活」ができない=無能だと思い込んでしま危険性があります

私はアスペルガーADHDはありませんが(うつ・不眠はあります)、それとは別に方向音痴です。

方向音痴に向かって、「どうして迷うんだ?」と怒られても困ります。迷いたくて迷っているんじゃないんだから

方向音痴だけを取り上げて、

あいつは使えない奴だ」(なら外回り仕事を内勤担当にやらすな)とか、

「彼はインドア派だから付き合いにくい」(こっちだってムダに歩かされるのは願いさげ)とか、

「減点」で評価するのが、日本的評価法です。

こういう生きにくい社会に対しては、減点法では評価しきれない多用な才能がある、また多様な生き方があっていい、ということを常に言っていかなければなりません。

情けない話ですが、「日本人精神年齢12歳」とはマッカーサーの評価ですが、21世紀に入って精神年齢は下がる一方で、目下のところ4歳ぐらいかと思われます。異質な存在を全く認めないんですから

ヒトラーの素晴らしさが分からないのは精神病だ」というのは笑えない実話ですが、一時期の小泉人気新保守主義に置き換えると、ぞっとしない話です。

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