2013-11-24

幻影ヲ駆ケル太陽」は「まどかマギカ」批判だったのか?

上記の疑問に関して、自分で頭を整理するために書きます

念のために最初に書いておくと、私は幻影のファンなので、結論はお察しの形にまとまります

なぜこんな疑問を抱いたか

幻影ヲ駆ケル太陽」と「まどかマギカ」の作品の雰囲気が似ていることがあげられます

実際、かわいい女の子過酷な戦いに巻き込まれていくダークファンタジーチックな部分は一緒です。

放送時にも幻影は「まどかパクリ」とか「二匹目のドジョウ狙い」だとか言われていました。


この作品を「まどかマギカの批判では?」と思ったのは上記のように似た雰囲気を出しておいて、

その結論や人間の行動に関してはまどかマギカの正反対をいっていた部分にあります

正反対1 ~太陽あかり鹿目まどかの結論の違い~

両作品の主人公2人は最終話にて、自分の結論とそれに伴う行動を起こします。


鹿目まどか場合希望を信じた魔法少女魔女になる(絶望する)のはおかしい。私は全ての魔女を消し去る」

太陽あかり場合「人は闇に捕らわれても、やり直しができる。私はダエモニアを元の人間に戻す方法をさがす」


簡単に言うと、絶望を拒絶するか、絶望を肯定するかの違いです。

正反対2 ~星河せいらの持論~

幻影ヲ駆ケル太陽に登場する星河せいらはある言葉をよく使います

自分ができることをすればいい(やるしかない)」

これは彼女の軸となる考え方でもあるといえます

実際、この言葉をかけた三島花苗がダエモニアになった後も彼女の持論は変わりませんでした。


そして、この言葉自分の出来る限界以上の事を願う魔法少女への批判のようにも聞こえます

正反対3 ~ダエモニア魔法少女

まどかマギカ魔法少女は願いをかなえる代償として魔女と戦う運命を背負わされます

それと同じような存在幻影ヲ駆ケル太陽にも出てきます主人公たちの敵ダエモニアです。


これは疑似的にタロット使いと魔法少女の戦いであり、

幻影ヲ駆ケル太陽まどかマギカの批判である」ということを暗に示しているのではないでしょうか。

結論

さて、ここまで両作品の違いに振れてきましたが、

結局のところ、「幻影ヲ駆ケル太陽まどかマギカの批判ではない」が結論です。


正直1クール作品を比べて3つくらいしか反対の部分が見つからない時点で分かっていたことではありますが、

意識して入れられた違いではないでしょう。

一番説得力があると思われる「正反対1」についても、重要なのはこちらの結論ではなく、

太陽あかりが言った「運命自分で選ぶ。あなたが決めることじゃない」という言葉にあると思っています

この部分に関して言えば、鹿目まどか絶望へ転落していく運命に対する拒絶を行っており、非常に似ていると感じています

最後

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