ここでラジオなどから推察される田村ゆかりさん本人の人柄について言及しても不毛なので多くは語らないが、
彼女は人見知りで社交性がなく自意識過剰で、自分に自信がないであろうと思う。どちらかというとネガティブな性格だろう。
「この角度でこの表情をしないとみんなの知っているゆかりんにならないから」などと笑い混じりに話す。
心底自分をカワイイと思っているタイプなら決してこのような発言は出ないだろう。
元増田が書いているのはfancy baby dollという曲と喪女についてなのでこの曲に限って、そして喪女に限って言及する。
本当に自分のことを可愛いと思っているやつに、こういった歌は必要ない。
幼少期から美しく育ち、美しく扱われている女性に美しいという賛美は必要ないように。
田村ゆかりを聴いて、共感できる!とか言っちゃってる女ヲタは、決して自分は世界一可愛くないことは知っていて、
ましてや普通レベルにも可愛くないことも知っていて、他人の心ない行動や言葉、世間からの嘲笑で、
いつのまにかチェックのキャミソールを着るのをやめたりしている人種もいると思う。
どこかに残っている幼い心、現実社会を生きる上で殺してきた夢を、fancy baby dollが歌っているから共感するのだろう。
現実には「チェックのキャミソールを着て今夜ねえ会いにいくわ」などと言えないのだ。
真っ白な世界で生きていければそう言えるのかもしれないが、現実はそうはいかない。
でも本当は心の片隅でごくごく小さくそう言いたい気持ちは残っているかもしれない。でも言えないのだ。
しかし、その心を田村ゆかりさんは、勇気を持って、努力をして手に入れた煌びやかなステージにたち、夢のような衣装で歌うのだ。
田村ゆかりさんが、「たむらゆかりさんじゅうななさい」だの「般若」だの揶揄されていることを知らないと、どうして思えようか。
それでも、田村ゆかりさんは夢を見ることも、見せることをやめないし、笑顔で姫として歌い続ける。
だから、田村ゆかりさんを応援し、「そういうことを言っている女子に共感する女ヲタ」がいるのだと思う。
諦めてしまった無数の女ヲタは、田村ゆかりさんと夢を見る。亡霊のような思いを捧げる。
いつか今のように踊り歌うことが出来なくなったとしても、きっと新しい夢を田村ゆかりさんは見せてくれる。
そして、同時に田村ゆかりさんのみる夢を叶えたいのがファンなのだ。
ファンは夢を見せてくれる勇気ある戦士であり、美しい姫である田村ゆかりさんに愛と尊敬と感謝を込めて、
田村ゆかりさんの夢を叶えるため、全力で「世界一可愛いよ」と伝える。
自分には誰も言ってくれないであろう、世界一可愛いよという言葉を、
言って欲しかった気持ちの分だけ、大きな声で伝えるのだ。
もちろんそういったアプローチでなく田村ゆかりさんを好きな女ヲタも多数いるだろうとは思う。
純粋にまっすぐに田村ゆかりさんの歌う世界や、可愛らしい声や外見が好きなひとが大多数だ。
わたしは田村ゆかりさんの顔は絶対に世界一とは言わないが、若々しく非常に可愛らしいと思っている。
ちなみに桃井はるこさんも大好きです。
「fancy baby doll」という曲はご存知だろうか。 田村ゆかりさんという声優さんの代表曲で、ライブで必ず歌われるらしい。 この曲はサビの部分(正確には"2番の"サビらしい)「世界一かわい...