2013-09-19

黄錦周さん「慰安婦になった経緯をお話します」

1「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。

  ソウル金持ちの家で小間使い。

  1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、

  その家の娘の身代わりとなって満州連行され従軍慰安婦となった」

2「17歳のとき日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、

  日本軍工場に働きに行くように命じました。

  そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」

 

3「私は19歳で学校卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、

  仕方なく慰安所に行ったんだ」

4「満18歳になったある日、男がやって来て、

  村から娘を提供するように言いました。」

5『村の班長日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、

  1941年韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』

6「14歳とき、いわゆる「少女出」で満州連行され、

  皇軍兵士セックスの道具にされた。つらい体験だった。」



嘘や詐欺のつもりなら設定ぐらい固めるもんだから

黄さんは話芸でメシ食ってる感覚だと思う。



(1)従軍慰安婦戦後補償 / 著者:高木健一

(2)国連経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日

(3)"TBS"「ここが変だよ日本人

(4)「日韓社会科教育交流韓国訪問/1997夏期

(5)旧日本軍従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日

(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん