2013-09-07

私がクリープハイプに冷めた理由。

メジャーカンアルバム「吹き零れるほどのI、哀、愛」発売おめでとうございます

去年の5月くらいに知人からすすめられてファーストアルバム死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」を聴いた。

アルバムタイトルに衝撃を受け、「愛の標識」が大好きになり、「バイト バイト バイト」を聴いて励まされた。「手と手」はクリープハイプ楽曲の中で1番好きだ。

気づくと毎日クリープハイプ聴くようになっていた。

シングル「憂、燦々」「社会の窓」はもちろん買った。「憂、燦々」を聴いたときに(ん?なんだかちがうぞ)と感じたが、CMに使われた曲なのでクリープハイプらしさが減っているのは仕方ないと思った。

決定打になったのは、Mステへの出演だった。クリープハイプは「ハイトーンボイスで女性の心情を歌う」アーティストになってしまった。そう認知されてしまった。

改めて、私が彼らのどこに惹かれていたのか考えてみた。這いあがれないこと、劣等感失恋、どうにもならないこと、自分はこう考えていたのに相手はそうじゃなかった・・・行き違いとかやりきれない気持ち、でも普段あえて言わないような気持ちを歌ってくれていた彼らが好きだった。

けれど、ストレート言葉は、自分たちのバンドについてとか、失恋したことについてではなくて、いつのまにか「女性の心情」を歌うようになっていった。

「イノチミジカシコイセヨオトメだって女性の心情を歌うものではあったんだけど・・・ちゃんとやさぐれていた。

もちろん、昔のアルバムだって女性の気持ちを歌っているものはある。でも、それはあくまでクリープハイプ代表曲ではない、と思った。

私はやさぐれている彼らの楽曲が好きで、やさぐれていた頃を忘れないところが好きだった。また、劣等感からうまれた音楽を聴いてみたい。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん