コミュニケーション力と学力のどちらを重視するか、みたいな話題のツリーを見ていて、わたしの身に起こった、コミュニケーション力が勝利した例を思い出したので、紹介させて下さい。単にわたしにコミュニケーション力が無かっただけ、っていう話なんだけど。
わたしは国公立大に在籍している。専攻は数物系だ。いまはほぼすべての時間を研究に当てて、毎日せっせと勉強している。コミュニケーションのほうはやや苦手で、消極的な性格で友達は少ない。
その集まりにはわたし以外にもう一人同じ年代のいとこがいて、ちょうどわたしの隣の席だった。
いとこはわたしより4つか5つ年上で、大学を卒業して会社で働いている。大学は中堅私大かそれより少し下だったと思う。学業に励んでいたようには……見えない。しかし積極性やコミュニケーション力は抜群で、多趣味で友達が多く、会社の人や近所のお年寄りにも可愛がられているらしい。
親戚が集まって食事をすると雑談タイムが始まる。わたしはこれが苦手だ。何を話していいかわからない。
まず驚く。目の前にいるおばさん二人が両方ともいとこの方を向いて、わたしを置き去りにしていとこと話し始めた。なんでだろう?見た目の問題なのだろうか。いや、でもいとこは髪の毛ボサボサだった。
いとこの会社の話になった。会社の人とこんなおもしろい店に行った、これこれこういう仕事をした、仕事は大変で夜遅く帰ってくる、まあ、そんな話だ。ひとしきり話が終わった後、とうとうわたしに出番が回ってきた。
「〇〇はどういうことを勉強してるの?」
わたしはできるだけわかりやすく説明しようとした。自分が感じた面白さ、驚き、発見のひとつまみを全く知識がない人でも理解できるように解説しようとした。しかし悲しいかな、「数学で、」と話し始めたら興味無さそうな顔で「ああそうなの。」と言われて終わってしまった。悲しかった。そしてとどめの一言。
愕然とした。まだ10分も喋ってない。それなのに、わたしはいつのまにか負けてたのだ。いとこの「明るさ」が勝っていたのだ。コミュニケーションの勝利だ。「明るさ」という文字列が勝利の雄叫びを上げてわたしの周りをダンスしているような気分がした。わたしが原因でわたし以外の家族にまで陰気な家族という印象を与えてしまったかと思うと、悔しかった。
毎日コツコツ本や論文を読んで考えて、友達や先生と議論して得られる学問の面白さ、驚きは耳に入れてすらもらえない。いとこがしていたガード下の串焼き屋の話は身を乗り出して聞いてたのに……。コミュニケーション力があれば話を聞いてもらえたのかな?
そのあといとこに
と言われて完全にノックアウト。わかってる。わかってるよ……。わたしだってわかってるよ……。だっておばさんたち、わたしにあまり興味なかったもんね。
基本的にいとこのほう向いて喋ってるし、わたしが食べ物のの話をした時も反応が鈍かったし。わたしが話している時だけ、その場の会話がつるつる滑ってるような居心地の悪さを感じてた。ネジをサイズの合わないドライバーで回そうとしている時のようなもどかしさだった。
あー情けない。
あなたといとこの決定的な違いは、相手を楽しませようとして話をしているかどうかだ。 これに尽きる。 それをコミュニケーション能力と言って切り捨てるのは容易いが、そんな高尚な...
途中までは満点だったんだが 本当に知的な人間は、他の人を楽しませる事ができる。 この言い回しが頭悪くて残念 「本当の○○は××」という文章を使うのはやめよう
元増田です。 前半部分は確かにそうだと思います。どういう話をすれば相手が喜ぶのかは、正直わからない。 人としゃべる方法を知っているのがコミュニケーションの重要部分だと思...
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そもそも何が勝ち負けか、だ。 その従兄弟にしてみれば、あなたがそういう研究してることを素直にすげーな、ッて思ってるかもしれないぞ? 勝ち負けの概念なしに。 一方、貴方は、...