2013-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20130514212110

横だけど

その階段はもはや独創性の階段というか独創的感受性階段になってそう

こと学問科学の分野では客観性や再現性が尺度=段差ということになって階段比喩が成立してるけど、芸術分野では段差は階段と段上にあるものを眺める側の目が作るものだし

努力によって芸術の才能は再現不可能である」というけど、芸術を感知すること自体がもう才能の一部じゃん

まり最初から階段比喩根本的に成立し得ないんじゃないのかな

段数を数えることはできるかもしれないけど、それは誰とも共有できないんじゃないか

記事への反応 -
  • 階段の比喩自体は否定しないよ。悪趣味は悪趣味で極められるでしょ。 一つの階段の上段ほど趣味が良くて下段ほど悪いっていう構造じゃなくて、「趣味が良い階段」と「趣味が悪い階...

    • 横だけど その階段はもはや独創性の階段というか独創的感受性の階段になってそう こと学問や科学の分野では客観性や再現性が尺度=段差で階段の比喩が成立してるけど、芸術分野では...

      • 全く共有できないってこともないだろう、と思いたい。 全人類とは共有できなくても、感受性階段でかなり近いフロアにいる人間は必ずいる。はず。きっと。たぶん。

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