SFに通じているほど回答に詰まる気がする。
そもそも、人類は生命の定義さえしっかり出来ていないのだ、とディスティ・ノブァ教授は仰った。
岸和田博士なら、そんなことはないといい、ドラえもん型生命を発明する豪腕をふるうだろう。
はっきり言う。アンドロイドが電気羊の夢を見て、新しいペットを飼うべきか悩むかは知らない。
例えば、脳以外を機械化したサイボーグと、脳をチップ化した生身のザレム人はどちらが人間に近いのか。
この場合、我思う故に我有り、なんて何の慰めにもならないと言ったのは確かにディスティ・ノブァ教授だ。
さて、ドラえもんは機械の体に機械の頭脳を持ったまごう事なきロボットで、その名の通り無給で役割をこなす。
1.自我がある。
2.生殖しない。
4.死が存在しない。
おおよそ、生命の定義に自我は必要ない。有機体である必要もないし、有機部品をつかえば結局同じである。
極論をすれば、生命とは2と4、つまり「生まれて死ぬ」かというポイントにつきるのではないか。
これが、おそらくドラえもんが生命でない論拠に落ち着くのではないか。電化製品として、廃棄される可能性は高いが、不可避とは呼べない。それは製品としての死であって、生命としての死ではない。
蛇足になるが、生まれるかについては、難しい。
例えば、ウィルスを生命と断定できないのは、その特殊性にあり、ある意味では生まれも死にもしない。複製されて、破壊されるだけの情報群は、生命体であるかどうか、「未定」の状態である。
このへんは、各人考えて欲しい。
電子回路の劣化による故障は死ではないのか。
「死」についてもドラえもんを排除するために設定された基準にしか見えない。 ドラえもんの部品も経年劣化するのではないか? 部品の交換は人間で言う臓器移植に相当する。
逆に生物の中には「寿命」の概念がないものもたくさんあるぞ。単細胞生物は、栄養がある限り分裂を繰り返す。コケ類の中には、動物に踏まれるまで何万年も育ち続けるものが存在す...
それでいて互いに自分こそが格上であり、下等な愚民を宣教せねばならぬと使命感に燃えている
定義はちゃんとあって、 自己複製する 境界がある 代謝する の三つなんだよね。 まあ定義が難しいとか論争があるかのように書かれているサイトは多いけども。 よってウイルスな...
だから、その定義にドラえもんが当てはまるかどうかで揉めてるんだろ フエルミラーで増えるのは自己複製に当たるか、とか ドラえもんは本当に生殖行為をしないのか、どこかでそれは...