僕の奥さんと僕とは、7年交際して結婚しました。子どもは、まだいません。以前から、奥さんは生理が不順だったり、腰の関節が痛くなりやすく、排卵していない時もあったなど、将来子どもを授かることができるのかということを、とても気にしていました。
今年の春、「以前から首が腫れているような気がして・・・」と内科を受診すると橋本病であったと分かりました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A2%E6%80%A7%E7%94%B2%E7%8A%B6%E8%85%BA%E7%82%8E
服薬をつづけて、数値的には正常に戻りましたが、今後どのように症状が推移するかは分かりません。奥さんは「子どもを授かることはできないんじゃないか?」ととても不安に感じていて、不妊治療をやっていくことも考えています。
僕はといえば、奥さんと会えて、というか1人の他人と長い時間を過ごすということを、根気のない自分につきあってもらう中で、色々変わってきました。
子どもなんて理解できないし、正直面倒臭い、なんて10代のころは自分も子どもだったのに思っていたし、基本的に人は信用できないと決め付けていた(今もその残痕はあるんだけど)。
それでも、性格の違う人間が、お互い同じごはんを食べて、同じリビングで別々のことをしながら同じ音楽を聴いたり、すごく相手を罵ったり、「ゴミだしといてくれてありがとう」なんて言いあっていく中で、この人とだった面倒なことがたくさんある子育てだってやってみたいと思えてきて、甥っ子や街行く子どもも、とても可愛く感じられるように変わってきた。
子どもを欲しい、子どもを育て、自分の家族というものを一緒に作り上げていきたい。その子のことで、苦しんだり、喜んだり、悩んだりしていってみたい、と今は思います。
こんなことを書けば、奥さんはとても悲しむのかもしれないけれど、そうやって望んでいる僕だけれど、子どもがもしできなかったとしても、それでも構わないともう一方で思っています。
彼女が埋めてくれた、僕のガランとした生活。生活を営むということに、喜べる瞬間があるということ。疲れてまで他人と旅行する意味が全然わからなかった自分が、一緒に風景を見たいと思えるようになれたこと。どれも奥さんのおかげだと思う。
愛してるなんて口が裂けても発することはないだろうと高校生のときは考えていたけど、愛している。それは、愛している状態へ変わる、愛を悟ることではなくって、一緒にご飯を食べて、日々をすごし、声を掛け合うことの中にあるのだと分かったから。
ずっと一緒に歳をとっていきたい。どちらかが先に死んでしまって、その後には死後の世界なんてないのかもしれないけど、僕らに残されてる大切な時間を一緒にあじわっていきたい。
ビビンバ食べてきたら