2012年07月20日の日記

2012-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20120720233443

気にくわない人への攻撃手段に使っているだけだからな…

http://anond.hatelabo.jp/20120720144922

FD世代だからHDD磁気の関係は分かる。(ただしHDDは家庭用磁石くらいじゃおよそ壊れないらしいというのは今知った。)

故障個体の症状ってカリカリ音が報告されてるけど、これってデータが消えて生じる物?それとも駆動部が壊れたと見るべきなんだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20120720114629

心の中でバーカと思いながら、おっしゃる通りですよねーとか会話を打ち止めて、極力接しないようにすればいいんじゃない

http://anond.hatelabo.jp/20120720232402

「俺昨日風呂入りそびれちゃってさぁ~ 汗ベタベタでもう気持ち悪いのなんのって」的な会話で場を制圧するとか

勉強会?の様子をのせている記事を観たんだけども

格闘ゲームうまい人たちが自然に仲間が増えていくのに似てるなぁ

外見も似てるかもしれない。

この時期風呂入ってない奴って何なの?

臭すぎ。絶対に3日以上は入ってないな。

マジ気持ち悪くて仕事に集中出来ねえ。

まりに酷いようならガツンと直接言ってしまおうと思うんだが、

やんわりとした表現で自覚してもらう良い方法はないものか。

てか、何で入らないんだろう?腋臭と違って自覚症状があると思うんだが。

http://anond.hatelabo.jp/20120720230856

無視じゃなくてきちんと断ってくる女の子は全員もっと押せばいけるよ。

なかなか良い子ナンパしてるんじゃない。もしくはみんなナンパしてない穴場でやってるのかな。

ナンパおもしろい。

公式には彼女がいるので、ここに書く。

ナンパはじめました。

のしいね

メガネっこだけにしか声をかけてないんだけど、

慣れてる子は理性的にお断りしてくる。

慣れてない子はいやいやいや!そんなそんな!

みたいなものすごい照れ方でお断りしてくる。

まりは単純にまだお断り率100%なんだけど、

それすらもたのしい。

もう少し押しが強くても、礼儀さえきちんとしてれば

嫌がられることはなさそう。

はー、いまさら人生がたのしいや。

できなかったことができるようになるって嬉しいね

細田守の帰還

また夏がくる。

から話しても良いだろう。

サマーウォーズの話、細田守の話をしても。

サマーウォーズは表層的には、「デジモン」や「攻殻機動隊」に良く似て見える。

もっと有り体に言えば「デジモン2 ぼくらのウォーゲーム」の焼き直しに見えるだろう。

しかし違う。

最初主人公である彼のせりふをうろ覚えながら引用しよう。

アカウントを盗まれてパニックに陥りながらなんとかたどり着いた自分の偽物(どうみてもネズミ魔法使いの弟子だが)に対して彼はこう言う。

ネットの中だからって、何でもやって良いと思ったら、大間違いだ!』

既に携帯電話と結びついたアカウントを盗まれているために、彼は携帯電話を使えなくなり、

実害が起きているにも関わらず、彼の言葉はひどく軽く聞こえる。

劇場では失笑すら起きていた。

それほど彼の言葉は軽い。

確かに軽いのだ。

実感を伴わないからだ。

なぜならそこには「ネット」と「現実」が違うという暗黙の前提があるからだ。

たかネット必死になる主人公が滑稽に見えるのだ。

ここから細田守は丁寧に丁寧に劇場内に『実感』をしみこませていく。

ネット管理されている社会愉快犯がイタズラして回る様子を、大家族の親父たちが「仕事が忙しくて帰れない」という形でもって見せることで。

交通水道消防救急

イタズラだとわかっていても「いかなければならない」職場の人たち。

劇場にはまだ笑いがある。

しかし、ネットワーク現実世界と地続きであると誰もが理解し始める。

単なるイタズラ。

しか社会は混乱し、人の生き死にに関わりかねない。

ここで大家族の長が、知り合いに電話をかけはじめる。

黒電話、古いアルバム、黄ばんだ手紙社会とつながりのある古い老人。

社会の人と人のつながりを暖かく感じる。

そして、ひとまずの小休止を経て、大きな喪失が胸を打つ。

ここにきてやっと劇場内にも、『仮想空間』と『現実空間』とは表裏一体であり、地続きであり、

そのどちらもが紛れもない『現実なのだという『実感』が浸透する。

大家族の誰もがそれぞれの立場で行動し、そして仮想世界の住人が助けになる。

ここで逆転が起こる。仮想世界現実世界と地続きだ。

それはつまり現実世界仮想世界と地続きなのだ

仮想世界アバターは、そこに人の人生が透けて見える。

細田守は、子供しか見えない世界や、魔女世界を通過して、青春を描ききり、最後デジタルリアルをきれいに繋いで見せた。

現実とはそこにあり、誕生があり喪失がありそしてまた誕生がある。

成長があり老いがあり、後悔も希望もある。

仮想世界とは人と人がつながるための単なるツールであって、またそれは黒電話となんら変わることは無い。

その先には生きた人がいて、生きた人間社会を築き上げている。

「ここではないどこか遠い世界から、「いままさにここにある世界」へと細田守は帰ってきた。

宮崎駿がついに彼岸へと続くトンネルから帰ってこない物語を描いたのと対照的に。

未来を描き、夢を描きながら、しっかりと地に足を着けた物語を描ききった。

おかえりなさい。そしてありがとう

30代はキツい

アイアンハートの俺でも鬱の三歩手前位まで来てるんだから豆腐メンタルの連中なんてどうなることやら。

あー、10代に戻って何も考えずに今を生きてえー。20代に戻って夢見がちな明日を語りてー。

2ch喧嘩に発展してしまった際の鉄則

「言いたいことをレスしたらすぐさまスレを閉じる」

匿名性を盾にして好き放題煽ってしまうような人間が自らの非を認めて画面越しに謝ってくることはまずありえない。

いくらもっともらしいレスをしてあげたところで、期待できる返しはレッテル貼り人格否定、「こいつ必至杉wwww」程度。

相手の論の矛盾点や筋の通らないところを過不足なく正確に付き、多少の皮肉も込めて、最良のレスをぶちかまそう。

そうしたならばそのスレとは金輪際関わることをせず、痛いところを付かれ苦悶の表情を浮かべる様子を頭の中に思い描いて楽しもう。

これであなた明日から快適な2chライフを送れるはずだ。

みなごろしだーーーーー

うおおおおおお

http://anond.hatelabo.jp/20120720222008

主張してしまったことの重大さをぜんぜん理解してないらしい。

ひとり。

一人で仕事。もう限界だ。

最近童貞厨が居るらしい

処女厨のように、漫画キャラ過去彼女が居た展開で荒れたり、処女童貞結婚するために取っておいてるんだから中古はくんなみたいな事をスレで語り合ったりしているらしい。

面白いなぁ。

サマーウォーズ

陣内栄が超リア充

小磯健二も超デキる

篠原夏希がかわいい

というだけの話じゃないか

夢見る十代童貞マインドって、(おそら意図的に)蔑みをこめて言ってるが

要は年を取って“現代学生”を描けなくなってきたってことだろ。

中年になって若者の思考をトレースできなくなってきた

現実から必死に目をそらそうとしてるだけ。

ポルノだろうがそうでなかろうが

性描写に童貞マインド必須なはずねーだろw

何食わぬ顔で人を食ってるヤツが一番タチが悪いよ。

まあどうせロクな顔じゃないんだろうけど。

日記

 児玉聡『功利主義入門―はじめての倫理学読了。読みやすく、しかも、勉強になった。私は今年度初めに、「意味の分からない本は読まない」と決めたため、哲学系の本は一切読まなくなったのだけど、本書は、功利主義を理解するための知識がきちんとまとめられているにもかかわらず、倫理学素人である私にも意味の分かる本であった。

 とりわけ私にとって重要だったのは、功利主義に対する批判者の多くが、「行為功利主義」と「直接功利主義」を念頭に置いたワラ人形攻撃をしている、という話(p.83)。ちまたでは功利主義批判をしばしば目にするけれど、そこで批判されているのがワラ人形でないかどうか、考えるための一つの目安を手に入れることができた。

 逆に言えば、本書では、ベンサム説やJ.S.ミル説がそのまま示されるだけではなく(当たり前か)、それらへの批判を経てより洗練された形の功利主義が紹介され、擁護され、さらには今後の課題が提示されている。単に昔の人の思想を勉強するのでなく、論争(と現実的事例への適用)を通じて倫理学に触れられる本書には、「はじめての倫理学」という副題がよく似合うと思う。

 功利主義(と功利主義批判)そのものの解説以外にも、公衆衛生に関する政策、幸福論、心理学や脳神経科学による研究ビルゲイツ寄付先の決め方など、色々と興味深い話題が盛り込まれ、また、倫理学武道になぞらえた説明にも色々な点でとても納得できた(日常会話で友人の意見を批判するのは、通行人大外刈をかけるのと同様に危険!)。J美の出番がもっと多ければより楽しい本になっていたと思うが、それを望むのは欲張りだろう。

 以下、思ったことのメモ

p.20)食事のときに音をたててよい文化ルールが、「食べるさいには周りの人を嫌な気分にさせるべきではない」という(より深い)ルールに基づくものと理解できる、というのがどういう解釈なのかよく分からない。音をたてることを禁止したがる人は周りの人を嫌な気分にさせるから、音をたててよいというルールがあるんだということ?

pp.154-155)選好充足と幸福のつながりを疑うための2つの思考実験から、「すべての選好を充足させることが幸福につながるわけではな」いということになりそう、という結論が導かれている。つまりここでは、「選好充足しても幸福にならない」感じのするケースが挙げられているわけだ。しかし、これら2つのケースで想定されている選好充足は、選好充足とは思えない。例えば、ある学者が「ノーベル賞をほしい」と思っていて、その後に政治的理由で「ノーベル賞なんか欲しくない」と思い直して、その直後にノーベル賞受賞発表があった場合、それは明らかに(かつての彼の選好に合致するものではあるが)彼の選好充足にはならないだろう。それと同様で、1つ目のケースでは、現在の妻の選好はかつての彼女の選好とは異なるし、2つ目のケースでは、受賞者発表の時点でカナダ研究者は(死んでいたので)ノーベル賞受賞を選好しておらず、受賞発表は選好を満たさない。したがって、これらは「選好充足しても幸福にならない」ケースではないのではないか。…と書いてる途中で、「じゃあたった今の選好しかその人の選好として認めないの? それ色々まずくね」という批判が浮かんだ。まあだから、どちらにしても、幸福につながる選好の定義は難しい、ということなんだろう。

p.204)「カント引用は…」。どこに引用されてるのか、本気で見つからない。

p.219)「同時に日常底に用いたりするのでなければ」。「日常的」の誤植?…と思ったら、仏教用語で「日常底」という言葉がある模様。あとで調べる。

以上。

 

 ところで、最近私が(本書とは無関係に)手に取ったいくつかの本によれば、功利主義者は必ず利己主義的傾向を持っていて、極端な場合世界は亡びても自分だけ助かればいいというところまで至る(*1)、のであり、また、ベンタムの思想は、ヨーロッパの恥ずべき日々に確立された「快楽苦痛に関する皮肉簿記学」であり(*2)、もはや、日本精神界では「浅薄」なものとしてあまり顧みられず英国でもムーアによる批判以来(理論倫理学説としては)過去の思想となっている(*3)、のであった。そんな中で、私が本書によって功利主義に入門できたのは、幸運だったと言えるだろう。

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(*1)井上哲次郎日本魂と米・英の功利主義」、『日本公論』1943年8月号所収、p.6。なお井上によれば、ベンタム・J.S.ミル・シジウィク・墨子荀子荻生徂徠・太宰春台などが功利主義である

(*2)アンドレ・ブルトン澁澤龍彦訳)「ルイス・キャロル」、『澁澤龍彦翻訳全集12』所収、1997年(仏語底本は1950年)、pp.313-314。ベンタムへの言及は、ルイ・アラゴン言葉としてブルトン引用しているもの

(*3)『世界古典名著:総解説 改訂新版』自由国民社2001年、p.204。

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