2012-06-05

意識高い学生」問題について

http://www.ikedahayato.com/?p=10449

意識高い学生」という言葉の字面だけを取り上げて、自分の思い込みで突っ走ってわーわー言ってるのは、

障害者の害という漢字けしからん」とかどうのこうのといって喚いてるプロ市民くらい間の抜けた話だと思う。

それにしてもどうしてイケダハヤトさんはいつも「一般論としては正論キレイゴトという)だが、具体論としてコレジャナイ意見」ばかりになるのだろう。むしろイケダさんみたいな仕事って、キレイゴトとか正論よりも具体的なところでなんとか上手く行かせることが大事だと思うんだが。なんか仕事の方も大丈夫かと無駄心配になる。

このあたりが理由なんだろうか。

http://d.hatena.ne.jp/naoya/20120605/1338873268

建前でしゃべるのが癖になっており、何か本音の議論があるたびに、それに対して建前でポジショントークをかぶせて行かないといけなくなるという。言葉を重ねれば重ねるほど白々しくなっていくという残念な構造

だとすると「意識高い学生」問題はFacebookによってますます深刻化しそうだ。Facebookによる就活とか始まると、意識を押し殺したり、以下に自分を化粧できるかの能力が問われるようになるな。コミュニケーション能力ならぬ「ホワイトコミュニケーション能力」みたいなのが求められる時代になっていくとか思うと萎える。もうハイパーメリトクラシーってレベルじゃねーぞ

などということをつらつらと考えたので「意識高い学生」に関する問題は自分の中で整理しておきたい。



意識高い学生」という言葉は誤解や不毛な争いを招いている

一方で、こういう感じで言葉ヅラをそのまんま受け止めて発狂しちゃう人もこの人に限らず大勢いる。

(この人の場合は、自説をぶちまけて、自分の気に入らない人たちにいちゃもんつける材料があれば

 別になんでも良かったのだろうと思うが、どちらにせよ反知性的であることに変わりはない)

一歩間違えると、不毛言葉狩りとそれに抵抗する人々という不毛な争いになる。

このことを考えると、言葉はできるだけ誤解がないものを選択した方が良いと思うのも確かだ。



挑戦には失敗がつきものから 笑われるのはむしろ挑戦してる証だと肯定的に受け取ろう 笑われたことに逆切れするのは筋違いではないか

意識高い学生失笑を受けるのは、選んだ服の着こなしが悪い人が笑われるのと同じ原理であると考えている。

自分にあった着こなしやファッションスタイル一朝一夕で身につくものではない。

誰もが恥をかいたり、周囲の先輩に教えを請いながら挑戦と失敗を繰り返して学習していくものである

ところがたまに傍から見ると明らかに「センスが悪い」のだが、本人がそれを大いに気に入っていてドヤ顔をしているような感じのヒトがいる。

そういう感じの人は、やはり冷笑されることになるだろう。

まだ学ぶべき、謙虚に教えを請うべき段階で、あたかファッションリーダーのように振る舞う奴は、やはり勘違い野郎とおもわれるだろう。



謙虚なだけではいけないが、周囲の目を上手く活用することも必要だと思う 過剰に周囲の評価を振り払おうとしてないだろうか

この「勘違い野郎」のビジネス版・思想版が「意識高い学生」という言葉表現される人である

ファッションだとイタい人というのは視覚にわかやすいのだが、

これがビジネスとか人生スタイルになると抽象的なこともあってわからない人が出てくる。

なぜか過剰に自由を求めたり、異常にプライドが高くて自分を曲げられない。

まだ学ぶことがたくさんある段階でも失敗を認めることが出来ない。

オリジナルであることを過大評価する。なんて人たちがたくさんいる。

挙句、「自分は正しい」と思い込んで、自分センスを周囲に押し付けようとする。

無駄に声が大きいこともあり、ここまで来ると、単に笑えるだけではなく、むしろ笑えない迷惑な奴だとみなされるようになる。


意識が高いことはもちろんいいことだ 実践し、失敗から学ぶ姿勢がある限りにおいて

だってセンスが悪い時期を経由して来ているので「イケてない」事自体は笑ったりはしない。

笑うことがあったとしても、それは悪意によるものではなく、自分にもそういう時代があったなぁという感じの柔らかな笑いだ。

というか、意識が非常に高くても、学ぶ姿勢を持っていたり、それに見合う努力をしている人はむしろ尊敬される。

他者の反応に対して受け入れるかどうかはともかく多少は気を払ったり耳を傾けるくらいの姿勢がある人を蔑んだりはしない。

そういうゲスい人は、そんなにいない。少なくとも主流ではない。

ネット・・・はともかくはてな民は、嫉妬深い面もあるが、かといって、努力している人を全く認めないほど狭量でもない。

意識高いことはもちろん良いことなのだ。 それを自らで実践していれば、むしろ周囲の人は反対するどころか、応援したり支持したりするだろう。



傲慢なのも徹しきれるなら悪くない

問題なのは「似合わない服を無理してきてるチグハグ感」であり

「それを指摘されても直そうともしない傲慢さor周囲見えてない感」である

もちろん、周囲の見る目が常に正しい訳ではないから、奇抜なセンスを貫いてファッションリーダーになることもありうる。

そういう自信があるなら、周りの声など最初から来にする必要はないだろう。




意識の高さ」が空回りしないためにはどうすればいいか

自意識過剰」「周囲見えてない」「言葉と行動のバランスが悪い」「上から目線で話すクセがある」

などの要素をギュッと詰め込んだ感じがこの言葉によって示されているイメージであろう。

言葉が適切かどうかはともかく、

「せっかくの意識の高さが間違った形で発揮されており、努力が空回りしている」ように見える人が多いのは確か。




・・・サブタイトルの続きとか冒頭に書いたFacebookとの絡みでもうちょっと考えたかったけどとりあえずはここまで

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