2011-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20111122143513

ここらへんについては、言葉技術(この人のほうが私より断然ウマイ)や対象は違うけれど、私が書いてることとかぶってると自分では思ってる。

俺には同じ人が書いているようにしか見えんかったが。

(真性引きこもりも文章がへたって意味で)

まぁ、それにしたって、あそこまで自己を他人に投影できるのは、悩みがなさそうで羨ましいね

他人に投影できるからインターネット希望見出していた有象無象って集団を仕立て上げ、自分をその中に埋没させることが出来る。

から奪われたのではない、群から奪われたのだと、これは大変な事なんだと、自身の欲望の価値を拡大させる。

これだって一種の自己肯定だ、集団の威を借りた、さもしい自己肯定。


普通の件に関しちゃ、おれは違う考えを持ってる。

それぞれの集団で(田舎で都会で、会社学校で)トレンドリーダーみたいな人はいて、それらの人が普通を形作る。

その人たちの居る集団が普通になる。

これは、当然そうなる事象で、非難しても仕方がない。そこが皆が属したいレベル帯なのだから

足りない人はついて行こうと必死になる(似非リア充とか呼ばれる)。

普通ってのは、優越感ゲーム武器であり防具なんだから、当然のように他人を抑圧する。


優れた人が普通を名乗るから、そうでない人が抑圧されるのではなく、ある集団の構成条件を普通である事とするから、そこに留まりたい者にとって抑圧となる。

から普通に抑圧を見出す人は、入りたくても入れない集団に憧れてるか、留まることのコストが高すぎる集団に在籍してるだけ。

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