2011-07-29

カオスラウンジの騒動にいっちょかんで心をスッキリさせとく

カオスラウンジには覚悟が足りない。他者の作品を切り刻んだり水をかけたり踏みつけたりといった具合に破壊しようとする時点で、相当数の作者から少なからぬ反発を受けるであろうことは容易に想像できる。それでも、彼らがその信念に基づき、他者と和睦的対話を取ることなく、その作品を勝手に使うのであれば、作者からの批判に甘んじて受け入れなければならない。それができないのであれば、彼らの(括弧書きの)「アート」活動は児戯にも劣るただの慰みであり、他者=社会からの逃げに等しい。

そして、カオスラウンジ創作物には、言わば「オーラ」がない。たとえ他者の作品を勝手に使おうとも、彼らの創作物が強烈なオーラ、すなわち批評性・メッセージ性・インパクトなどの人の心を動かす力を備えていれば、それは勝手に使われた作品の作者にも受け入れられる可能性がある。しかし、カオスラウンジを賞賛する声は批評家評論家などから上がるのみで、勝手に使われた作品の作者からは賞賛の言葉は全く聞こえてこない。これは、カオスラウンジの作品がその作者たちに受け入れられなかった、すなわちオーラがなかったことの証左に他ならない。

カオスラウンジが真に取るべきだった態度は「他人の作品は勝手に使うよ。作者からの批判だって? お前ら全員、俺のアートを見てからモノ言いやがれ!(ドヤァ」であった。同時に、その態度に見合うだけの作品を提示するべきであった。現実にはそのような作品はひとつも提示されず、自らは「望まれない存在」だとして活動拠点のひとつであるpixivを退会した。彼らが今回の騒動で初めて自らを「望まれない存在」と自覚したのであれば、勝手に使われた作品の作者に対する想像力に欠けていると言わざるを得ないし、既にその自覚があったのであれば、作者からの批判を甘受することができない、逃げの言葉であると言わざるを得ない。

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