大学に入って暫くしてのことだが、某深夜アニメにはまってしまった。
そもそも大学入学まではアニメなどゴールデンタイムに観るぐらいしかなかったし、ジャンプなど漫画雑誌も購読していなかったので、そういうものに疎かった面はある。
初めて買ったゲームを朝までやり続けたように、どの程度が異常なのか、それともよくあることなのかがわからなかった。
きっかけはなんだっただろうか。放送をぼちぼち見始めて、世界設定や元ネタ、キャラクタを調べているうちにどっぷり浸かってしまった。
たとえ入口が一つであっても、そこから先は広いと分かった。それこそ考察・カップリング・作画・声優・公式・非公式・メディアミックス……全てに手を付けたわけではないけど、きっと望めば望むほどコンテンツは存在し、それが枯渇すると今度は自分が供給に回るのだろう。自分にはそれが深淵のようにも見える。そして自分はそれに覗き込まれてしまったのだろう。覗き込んだのは、どちらも自分自身だというのに。
気づけばアニメ系まとめサイトを逐一チェックし、公式のメディア展開に一喜一憂し、日常生活でもキャラクタ名を空目する自分がいた。それについて割と恐怖したし、自分を律しようと試みた。今のところそれは成功しているように思える。毎日のweb巡回ルートと、日々保存される画像を除いては。
またはサブカル系の考察や思想に手を出してみたが、こちらはちょいと微妙である。コンテンツと消費の話は個人的には面白いのだけど、妄執を解決するには至らなかった。
頭ではあの世界が、あの作品がフィクションであると解っている。解っているのにそれでもフィギュアを見たりアニラジなんかを聴いたりすると混乱する。混乱すると判っているのに、その情報を検索するのを止めない。
たまにSSや同人のたぐいを目にすることがあるが、自分自身はそれを好まない。メアリー・スーよろしくキャラクタとオリキャラを絡めたりするものもあるが――自己嫌悪に陥ってこれまた混乱する。少しでも想像すると自己中毒になる。
誤解しないでいただきたいのは、作品自体を批判したり、ファン活動や同人活動を嫌悪しているわけではない、ということだ。むしろ、何かに夢中になったり自分を捧げるというのは素晴らしいことのように感じる。自分にはその覚悟がなくて、自分で引いた境界線の前から、此岸から彼岸の人々を見ているに過ぎない。ぶどうを取れなかった狐のように、指をくわえて。それでもその線を越えようとしない、越えたくとも越えられないのは、越えれば自分が自分でなくなるとでも思っているのか、それをよしとする自分が許せないのか。
この「病気」とも言えるものは、きっとそのアニメのコンテンツを全て絶つか別のコンテンツに移行するか、同人も含めた全てが終わらない限り、一生治らない依存症なのだと思う。このまま距離を取り続けて、それがオワコン化しても耐えられるだろうか。……それはまだわからない。どこかで折り合いを付けるか、そこから別のものにシフトして昇華させる必要があるのだと思う。孤独な誰得チキンレースである。
初々しいなあ。 おっさんから見ると、青さ全開でほのぼのするわ。