2011-05-23

君が代反対教師の卑怯な点

彼等は防衛線の設定と攻撃ターンでやってることが釣り合ってない。


自分達の行動を問いただされるターンでは、

「個人の信条の自由」というギリギリのラインまで下がる。

ここは確かに強固な要塞だ。

侵されてはいけない。


だが

学校の式辞でこれ見よがしな反対行動をした

奇行サボタージュで式辞全体の進行を妨害した

・事前に生徒に洗脳じみた圧力をかけたり

・校門でノボリ立ててビラ撒いたり

校長を囲んで締め上げて自殺に追い込んだり

という数々の行状は

「個人の信条の自由」を守るための必要最低限から大幅に逸脱している。



日本が大嫌いで君が代なんか歌いたくないよ、

という気持ちを持ち続ける。

これが左翼教師の信条の自由だ。


年数度、業務の一端で心ならずも君が代を歌う、

その夜は左翼仲間と「ペーッ、仕事はいえ口が腐った!もっと強いのくれ!」と酒が進む、

ここまでが「個人の信条の自由」の範囲というものだろう。


どうしても歌うこと自体が許容できないというなら

起立して口パク、これでいい筈だ。

やる気の無い学生国歌校歌も全部こうしてるわけで、

何故見習えないのか。


(ついでに、消極的に歌うことすら不可、というの自体も変な話だが。

 歌に神通力があるとか、異教の儀式に加わると魂が汚れるとか、汚れは永遠に落ちないとか、

 そういうのは宗教の教義ならあるだろうし、イスラム教徒礼拝を受けさせるのは暴挙だが、 

 進歩的な左翼思想にそのような宗教性や迷信は無いはずだ。左翼にとって歌は歌でしかないだろう。)



つまり、

左翼教師が逃げ込む「個人の信条の自由」という最もかつ強固かつミニマムな論拠は

学校式辞での数々の行状を釈明できるものではないのだ。

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