日本人という民族は宗教と聞くと、まず怪しむか馬鹿にすることから入る。
いまどき神を信じてるとか気持ちが悪い、馬鹿馬鹿しいと言い、ありもしない存在の言葉を信じるのは馬鹿らしいと付け加える。
食事の前に「いただきます」「ごちそうさま」と呪文を唱えて料理の食材となった生き物に対して感謝と供養を告げるのだと彼らは言うのだ。
彼らの話ならば霊魂など存在しないと言う、また、近代科学に則れば動物や植物に意志などなく、その行為を人間に頼んだという現象は存在しない。
多くの日本人達はありもしないものや、想像上の意志に捕らわれて、それをモラルに則った行為だと信じている。
「食べ物を粗末にするな」と言う言葉もあり、なぜありもしない存在に気を遣って実際に存在している人間が苦しい思いをしているのか不思議に感じるが、彼らにとってはごく当たり前の考え方だという。
日本人は霊魂を信じることを、幼稚な物と考えているような場面に出会うことが比較的多い。
しかしながら、日本人は故人に対する慈しみと敬いを強く持ち合わせている。
故人の遺族や友人に対して行う物ではなく、故人そのものに対して自ずから行っている。
その大きな矛盾に対して彼らは自覚しているが、自らの中に整合性を持っていない、それでいて放置したまま普段の生活では背反する二つの信念からくる行為を見せる。
また、彼らは故人に敬愛と悲哀を忘れないが、故人の肉体に対しては強い拒否感を持つ。
多くの場合日本人は故人の墓が日常の近くにあることを酷くいやがる、それが土葬である場合の反発はさらに大きい。
さらに日本人は故人を燃やすことを常として、土葬に対して嫌悪感を持っている場所が多い。
故人に対しての非難や無礼を働くことに強く憤りを覚えるが、故人の肉体を火にくべることにはむしろ積極的である。
彼らはこの不思議と相反する行為を特に違和感も感じずにやってみせる。
日本人に見えている物は何なのであろうか。
彼らの中で霊魂や神は存在しない代わりに、なにか実在するものが見えているのだろうか。
彼らはそれを否定するが、決して彼らは行為をやめようとはしないのだ。
twitter非リアでも楽しいのに。
攻殻みたいな情報戦の世界はまだかな……
「いただきます」や「ごちそうさま」は、食材を育ててくれた人、料理を作ってくれた人への感謝。 「食べ物を粗末にするな」は、経済的な戒め。 宗教と関連づける人もいるだろうけ...
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