2011-01-20

ネットでも居場所をなくしつつある彼ら

プロフに食いついてきたらしいキモい絡み方をするオッサンがいてどうしようもなくなったかTwitterやめたというエントリーがあったが、書き方はともかく、あれに感情的な反応を返しているいい年をしているであろう人間がやけに目に付いた。

正直言って嘆息ものだと思う。

空気嫁」というのは最初ネタとして使われていた言葉だったかもしれないが、今では実際に空気を読むという行為がネット上でも当たり前のように求められる場面が多いことを理解していない。

ネットユーザーの実際の比率がどういったものかは生憎手元に資料が無いが、「一般人」とされるユーザーの率が高まり、SNSTwitterといった同一システム上で多数同居していることは想像に難くない。

ネットは「彼ら」だけのものではなくなっていることに対し、彼らも理解はしているもののその認識はまだ浅いのではないだろうか。

特定の思想・理念をもって当初構築されたネットという文化圏は一番大きな枠としてあるが、その思想・理念は法やプログラムされたシステム上の制約ではなく、現実世界における「平和」だとか「環境保全」といったスローガンに近しいものであり、実際のネットというのは多様性を許容した世界しかない。

中には細かく分かれた文化圏存在している。

それぞれの文化圏の中に更に細かい文化圏があるが、それらが利用しているシステム上で同居するため分かりにくい。

そして、その分かりにくさのために、あっさりとその枠を踏み越える事ができる。

ボーダーレスと言えば聞こえはいいし、確かに大きなメリットなのだが、踏み越えてほしくない人間たちもいるのだということを彼らは往々にして忘れている。

多様化し、様々な文化圏があることを理解はしていても、それを認識した上での行動ができない。

趣味、嗜好、年齢、性別、色々と要素はあるが、その文化圏が何の集まりなのか。

現実世界における領域の住み分けで考えればすぐに分かるであろうはずなのに。

多少なりとも共通するものがあれば、年齢や性別、下手をすると国家言語の枠すら越える事ができるが、彼らはその共通事項すら確認しない。

そのため相手の文化圏自分文化圏が重なる部分がないにもかかわらず、その「住み分け」ている領域を「踏み越えてしまう」

そして「踏み越えてしまった」彼らはそれを指摘されると、決まって「ネット理念ネットという文化圏)」を持ち出してくるのだ。

彼らが守りたいものはネット理念などではなく、文化圏の違いに気付けない、空気を読めない自分に対する免罪符しかないことに彼らは気付いていない。

空気を読む」という行為はネット上でも必要とされていることであり、それができない人間ネット上であっても疎まれ、排斥されるようになってきている傾向が現実世界により近くなっている。

ネット上に居場所を見つけ、ある種の自由を得ていた彼らが、既に現実世界同様に疎まれる場面をこのところ特に目にする場面が増えてきた。

彼らはまたいずれ片隅に引き篭もる事になるんだろうか。

  • 10年以上前からネットやってるけど、最初から空気を読めない人間に居場所など無かったよ。 人間の集まる場所などどこでも一緒。 パソ通時代からそうだったんじゃね?

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