2011-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20110109011320

参考に値するエピソードであることには異論ないのだけれど、

就活時の業界への関心の有無が明暗の分かれ目だといつも言えるかどうかというのは疑問で。

客観的に見れば、人も羨むような難関企業にするりと入ってしまったのはいいけれど、

自分の実力と会社の期待の乖離を埋められずに苦悩してけっきょく潰れてしまったという話であって。

この増田さんがIT業界に対する興味・関心が1でもあればモチベーションを奮い起こしてこのギャップを乗り越えられたはずだと信じたいのは分かるんだが

スペシャリストよりもゼネラリストを育てたがる日本企業の慣習からすれば、その人の意向や能力を一向に配慮されない人事権が振るわれることなんて山のようにあるわけで。

いざ希望する業界希望する部署に配属されるという幸運に恵まれたとしても、

何年かして合理的な理由もないのに興味がなくまったくやる気の起こらない仕事内容の部門に配属されたら、そこであなた退職しなければならないのかって話になってくる。

日本労働環境が異常なんだよ!って話はまた別の問題ね)

個人的な意見でいえば、それがどんな内容の仕事であれ、1程度のやる気を自分の中に見出すことは難しくないように思えるし、

たとえ膨らますことができたとしても開始時点は1であり、期待される仕事の水準が高すぎては動機が膨らむ以前に重圧に潰されるのでけっきょく同じことなんじゃないかと。

ちょろっとやってみたいな程度の動機がいかなる重圧を乗り越えられるほどの力を発揮し得ると考えてしまうのは、たぶんそれを持たなかった者の幻想であり言い訳だろう。

そもそも世の中で興味も関心もゼロ職業に就いた人が必ずしも不幸かといえばそうでもなく、

志望動機がないどころかこれだけは死んでもやりたくないと忌み嫌っていた親の仕事家族のために無理やり継がされた人が、

その仕事を日々こなしているうちに、自分がまったく知らなかったその仕事面白みややりがいを見出して、

事と場合によってはこれこそ自分の天職ではなかったのかと気づいてしまうようなケースすらあるわけで。

視点を変えれば興味や関心が0ということは何の先入観も期待ももたずにフラットな状態でその仕事に向き合えるという利点もあって、

その業界に対する志望動機といえるものが100あったとしても、それが具体性を伴わない幻想やら漠然した憧れで構成されたものであったら、

甘ったるい夢や幻想現実にぶち壊される苦悩というものを味わうことになるし、実際に希望した業界就職できたはずなのに幻滅して辞めて行く人も多い。

あらゆる物事はケースバイケースであるといってしまったらもう身も蓋もないんだけれど、

たぶん優先度の高さからいえば、動機そのものよりも、自分自身の正体をどのぐらい知っているかのほうが重要なんじゃないのかな。

本当にやりたいことにしかがんばれない人間もいれば、まったくやりたくなかったことにも面白いと思える部分を探し出してがんばれる人もいるし、

実力不相応の難関企業に入って期待に応えられず潰れていく人もいれば、多々益々弁ずで期待が大きいほど自分の実力以上の力を発揮していくタイプの人もいたりして。

動機が0か1かは万人にとってはそれほど決定的なことではないのではないような気がするな。

自分がどういう状況ならがんばれたり、がんばれなかったりする人間かをどの程度正確に把握しているかが、幸不幸の分かれ目になったりするんじゃない?

もっとがんばれると思ってたのにがんばれない人もいれば、もっとがんばれるはずなのに自分過小評価して小さくまとまってしまってるもったいない人もいたり。

まずは、自分自身のことは自分でもよく分からいものだという自覚を持つところがスタート地点。

試してみないと分からないことは、世の中にはたくさんあるし、いちばんよく分かっているはずの自分自身のことでもそれは例外じゃない。

そういう文脈でいえば「自己分析なんて意味いから辞めちゃいなよ」という識者の意見は傾聴に価するもので、

分析するに足るだけの十分な判断材料がないのに自分自身が何者かと問い詰めたところでドツボにはまるだけだよね。

わかんないものはわかんないんだし、わからないことは試すことで確かめしかない、と割り切ることも大事で。

やりたいことを目指さないと不幸になるというバイアスがかかると、そのことで自分自身の本質を見誤った行動をとりつづけて、

それはそれでかえって不幸に陥る人もいるんじゃなかと思って、ちょっとおせっかいで書いた。

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