たとえば 空間(x,y,z)があったとして。
点(0,0,0)上で直径1の真円のマンホールの蓋Mが
点(0,1,0)上に1上げたとする。この時に真円のマンホールの蓋Mが点(0,0,0)の時と 同じ形をしていると保証されているのが地球というか、一般的な世界。
しかし、仮に 点(0,0,0)上と点(0,1,0)では、物体の形が変わると仮定してみると、真円のマンホールの蓋が必ずしも同じ形ではない。
よって、マンホールのふたを回転させると マンホールのふたの形が変わる可能性がある世界というものを仮定できる。そういった世界では、マンホールの蓋は円ではない可能性がある。
こういった空間はたとえば、点(0,100,0)上にブラックホールを置いたとする。
すると、マンホールのふたは上に持ち上げれば持ち上げるほどブラックホールの影響で小さくなる事が一般的な世界でも、想定可能であるので、突拍子も無いことは確かだがありえないということでもない。
よって、マンホールの蓋を円にすることで落下防止できるのは、空間座標に物の形が影響されない一般的な空間に歪のない世界でのみ有効であり。
そうでない世界では、蓋を回転させることにより、落下の可能性がある。
地球上はその落下しない条件に該当する。よって、
一つの例として書くけれど、小説家の舞城王太郎は、物語が社会に存在する理由を、次のように述べている。
『ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ』
現実は厳しい。いつだって僕らが願ったものは適わない。思い描いた人生を生きれるわけではないし、なりたかった職業には就けないし、大好きだったあの娘は簡単にイケメンに寝取られる。でも『本当はあの頃、こういう事を思っていた』とか『本当はこういう職業に就きたかった』とか『本当は昔、あの人のことが好きだった』という感情は確かに『存在』していた。それは紛れもない真実だ。現実のはざまに消えていった『真実』を、『物語』が代わりに叶えてくれるから、人間は感動するんじゃないだろうか。物語の無限の可能性に触れて、どんな苦悩も報われると思うことが出来るから。演劇用語ではこういった作用を『浄化』って言うんだけどね。
久しぶりにアーレントよんだ。
ちくま文庫で一番薄い『暗い時代の人々』。
二番目に安い、1400円。
現実から逃げて難しい本がよみたくなったの。
翌朝のトイレがヤバいのわかってて
あえて辛い料理たべたくなる感じ?
しかし、文章が回りくどい。
ってぐらいウネウネした文章。
そんなんだから二回も戦争に負けるんだよ!と
何度本をなげつけたくなったか。
時代の中で苦労してきても絶対絶望しないから
ちょっと元気になれるよね。
モレスキンのちゃんとした使い方、なんてあるのか。
しかしまあ、安いのでいいというのであればいいんじゃないの?
個人的には、100年後に書き残すようなことは持っていないし、
モレスキン、カッコいいよね。
暇人\(^o^)/速報 : LOの表紙の画像集めようぜ - ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51566262.html
この記事を見ながら、いろいろと思うところがあったので書かせてもらう。
まず、幼女を求める姿勢というものが、性的か、或いは『性以外の別のものか』というものに分けられると僕は思っている。
では、その『性以外の別のもの』とは何か。
僕は『無垢』だと思う。
汚れていない心。世間や、社会、人間や文化に侵されていない精神……そういったものが、『この世に性を受けて間もない生命』にはあると思う。
だから幼女だけではなく、幼児全体にそれはあると思うのだけれど、なぜかオスは無視され、メスのみが『無垢を求心する層』には好まれる。
う~ん、それは何なのだろう。
接客する仕事には女性が採用されやすいと聞くし、やはり『女性』という性の方が、人間的には安心を感じやすいのか。
とにかく、『生まれて間もない生命』には、無垢がある。これは間違いないだろう。
ところが、この世にはそんな無垢性を邪魔する思慮が介入する。これが人間の高度さでもあるが。
その中でもっとも社会に蔓延しているのが『子供らしさ』だ。子供は『子供らしさ』が無くてはいけない。いつも明るくニコニコ笑っていなくてはならない。でも『子供らしさ』って何だ?
例えば、自分の子供を体験学習や観光スポットに連れて行っても、『どうだった?』と聞いて返ってくるのは『楽しかった~』という答えだけ。アホか。子供は、どういった答えを返せば大人が『喜ぶ』か、経験的にちゃあんと学習しているのだ。そういった答えが子供の『本音』であるわけがない。その証拠に、子供は家に帰ったら「待ってました」と言わんばかりにテレビゲームかオンラインゲームを始めるだろう? 『本当に楽しいこと』を始めたのだ。
そんな姿が、果たして『無垢』であるといえるだろうか?
世の中のロリコンは、そんな現実にもう嫌気がさしたのだ。いくら可愛くたって、化粧をしてイケメンを追い求めている幼女になんて、萌えるはずがない。だからロリコンは『本当の無垢』を求める。文明に浸っていたとしても、その文明から切り離された瞬間というものが必ず『生命』にはある。「あ、今この少女は無垢だ」と思える瞬間が必ずある。その一瞬という物を、イラストレーターのたかみち氏は高度な技術で描き尽くす。ただの幼女を描いてもダメなのだ。『無垢』である瞬間を切り取らないとダメなのだ。だから『LO』の表紙はいつまでも評価される。そして『LO』自体もいつまでも廃刊にならずにいるのだろう。
秋葉原殺人鬼の加藤に車を貸したレンタカー業者は罪に問われるのかって話だよな。
ま、47氏はタイ━━━━||Φ|(|゚|∀|゚|)|Φ||━━━━ホ!!だけど。
そんなの読んでないがお値段考えると勿体無くて全然使ってない・・・
やっぱノートは乱雑にガシガシ書いて何ぼのもんだな。
ZEQUENZ良いっすよ。
最初は左ページが書きにくいけど。
うわっ、つまんねえ。
こりゃつまんねぇ。
何でこんなつまらん記事を堂々と投稿できる?
昨今、つまらん記事をネット上でいろいろ見てきたけど、その集大成に思える。
まず、どうでもいいことやろ? 俺ら増田にとっては。
それなのにあなたは投稿した。しちゃったよ~(こりゃマジでやばい)
ということはだ! あなたはこの記事に何らかの価値を見出したわけだ。
あなたと彼氏のオメコ記事が、何らかの価値があると判断したわけだ。
でも、残念ながら、あなたのオメコ記事に対して、世間は、何の価値も見出さない。
ところがあなたは400字詰め原稿用紙にして2枚と15行の記事として、彼氏とあなたの
オメコ記事を投稿しちゃったわけだ。世間は必要としていないのに。
このギャップはヤバい。マジヤバい。
だから女は嫌われるの手本だと思ってもいい。
まぁネットにはあなたが投稿したゴミクズのような記事が山ほど転がっているので、
無視すればいいこと。
ただ、あなたは耐えられる?
自分のつまらなさを指摘されたことに対して耐えられる?
めちゃ って書かない時点でファン失格だけどな。
まぁいいやろ
最近見ていないが、岡村さんは元気にしていますか?(そこから!?)
山本さんは元気にしていますか?(そこから!?)
死にたいわ~。まじで。
何でメチャイケ変わってしまったん?
昔は…面白い企画いっぱいあったやろ?
江頭のバトルロワイヤルとか……実際、あれをめちゃイケ史上No.1に挙げる人も多い
僕の友人もそうだ
でも、なんでクソつまらなくなってしまったん?
同じメンバーでやってたんやろ?
だったら、何で変わってしまったん?
何で変わってしまったん?
「ちゃんとした使い方で書かなくちゃ」みたいな意識にとらわれて
モレスキンに何も書けなくなってしまった。
で、今は安いメモ帳を買ってそれに書いている。
よくある現象なんだろうけど…
付き合って約二年。
その間たまに彼氏に連絡がとれなくなる。最初は飽きて捨てられたのかとメールも電話も繋がらない状況に驚き慌てたが、原因はなんのことはない。仕事に没頭しすぎて携帯を見ないまま充電池が切れるのである。
一ヶ月ほどその状態が続くと、私がアポなしで会いにいくまで一切接触方法はない。二年の交際期間中に二度ほど乗り込んでいったか。
そもそも、彼は実家暮らしであるからして、家に行ったらまず彼親に挨拶する難関がある。田舎で、ご両親もいい人であり、こちらはキチンと挨拶したうえで名乗り用件を伝えるから、通してくれないわけではないが、まだ正式に交際相手として紹介されていないので大変後ろめたい。
チャイムを鳴らして、彼親に「◯◯さんのお友達の何某と申します。渡したいものがあって、今日はいらっしゃいますか?」といいながら、ワシ物売りちゃうでちゃうでー勘違いせんといてやーと心の中で唱えている。
少し年上の人が、携帯電話の無い時代の恋愛について「まず相手の親にいかにつないでもらうかが勝負」と言ってたけど、たぶんこんな手に汗を握る難関だったんだろう。
そろそろ最後にメールが来てから一ヶ月経つし、また会いに行かなきゃと思ってる。でも、特に用事があるわけじゃないし腰が重い。そもそも恋愛なんて特に用事があってするものでもないからして、ものぐさな彼や私に向いてないんだろうなー。
何故私は「彼じゃないとダメ」などという多大に迷惑な幻想に取り憑かれているのだろうか。実際、過去に一度ふられて別の人何人かと付き合ってみたけど、やっぱり彼が忘れられなくて、いわく付き物件みたいになった自分に嫌悪感さえある。
見放されたら軽く死ぬるwww
せめて親御さんにそろそろちゃんと紹介してよ。
延髄切りでやられるとこだ。
どこ?
春ちゃんとクラブに行ってから初めての出勤。 僕と春ちゃんは隣同士の席なのだけど、 意識してしまってしょうがなかった。 クラブで握った手の感触、抱き締めた時の体温、唇の柔らかさ。 どれを思い出しても仕事になんかなる訳無かった。 目の端で春ちゃんをとらえるたびに思い出していた。 何とかしてもう一度キスしたいと思った。 それは急激に、流行り病的に襲って来たはしかのような恋心だった。 どうしてあんなに親しくしてくれたのだろう、 彼女にとってはハグもキスも他愛もないことで、 ある種クラブマジック的なワンナイトカーニバルだったのだろうか? いろんな事を考えた。 確かに春ちゃんの事が欲しくてたまらない、 でも、それを春ちゃんが受け入れてくれたとしても、 それは春ちゃんにとってマイナス的で、 彼女の事を考えたら、今回の事は事故的に受け止めて、 これ以上引っ張らないのが正解だと思った。 そう思って、この気持ちを伝えたら元に戻ろう。そう決めた。
俺の考えは似てるけど違ってて、日本とヨーロッパ(の西の方だけ)は「ある基準からすれば」という条件付で「できる子」だったんだよ。
でも基準自体が変わっちゃうと意味ないんだな。そして基準なんかどんどん変わるんだ。
そしてもう二つ。「できない子」というのは単に「できるようになるまでのスピードが遅い子」というだけであり、訓練をし続ければ最終的にはできる子と同じことができるようになる。
あと、世界のどこかでは「できない子でもできるようになる仕組み」というのが開発されている。それができてしまえばできる子の優位さはなくなる。
そんなこんなでダンゴ状態になっていく。